せんべろという言葉が気に入らなかった。
中島らもがエッセイを書いていた頃ならともかく令和のこのご時世にせんべろなんてあるわけがないし、あったとしても安いだけが取り柄の味気ないお店でしょう、そう思っていたある日、信頼するパイセンが連れていってくれたそこは、おつまみの豊富さとおいしさからはちょっと考えられないせんべろのお店だった。
それどころか、せんべろを謳う巷の店とは一線を画す最高のお店であった。
信頼するパイセンが連れていってくれただけあってマスターもママもお客さんも、みんなやさしくてたのしい人ばかり。みなさん声にハリがあるし明るいなぁと思ったら、野球やサッカー、ゴルフなどで忙しい方たちばかりで、ライバルチームの主将同士も仲良く飲んでいた。最初にお皿に置いた千円札から注文した分をママが引いていくのだが、酔いがまわってきたころにもまだ小銭が残っていた。お料理は出来合いや冷凍ものではなくすべてママの手作りで揚げものも注文が入ってから揚げる。
感動して濃いめのホッピーで酩酊。
朝起きて、いまだお気に入りのホーローのやかんでお湯を沸かしているときに、ふと前の晩に見た夢を思い出すことがある。夢といっても、雰囲気や感触や匂いのようなもの。
最近自分から漂う自分ではない匂いの正体が加齢臭ではないことがわかってひと安心。たぶんね。
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