2019年4月25日木曜日

6月以降の自分のために

今年の手帳は気に入ったものが見つからず、衝動買いしたノートに枠を描いて使用していたが、後先考えずに描いていたら、6月まで描いたところでページは終わってしまった。

困った。
6月以降の予定がぼちぼち入っているというのに、このままでは失念してしまう。
半年分の手帳なんて売っていないし、どうしたものか、と悩んでいたが、ちょうどよいものが現れた。
それがこの手帳。
A5サイズで持ち歩くにもちょうどよいし、なんたって名前入りなのだ。
あれ?ごろ寝しているこのマッチ、どこかで見たような・・・
「ねまちのおべんとうノート」と酷似しているではないか。


そう、ないならつくってしまえ、と思いつきで、余ったキレなどでつくったのだ。今度は枠も手描きではないので、にじむこともない。
やはり後先考えずにつくったので、あちこちがナニだけれど、いいのいいの。人に見せるものじゃなし。
これで6月以降の私も安泰というものよ。


次は、おいしかったお酒や納豆のラベルをスクラップするノートをつくらなければ。

2019年4月23日火曜日

春のおべんとう

春のおべんとうは、外で食べるのがよい。
もっというと、水が見える場所なら言うことはない。川とか海、湖、池とかね。
川を眺めて春のおべんとうを食べていたら、思い出した。

むかしむかし、森の中の大きな池のほとりでおべんとうを食べていたときのこと。
その池は木々の緑と水の青が混ざった、なんとも深い紺色でとろりと静かだった。
吸いこまれるようなその水面をみつめながら口を動かしていると、池にかすかな波紋が広がった。
見たこともない大きなかえるが泳いでいた。
少し離れた水面がすうっと動いた。大きな魚の姿が現れた。
透きとおった池を両者が並んで泳いでいたさまと、食べていたおべんとうのことは、忘れるはずがない。


離れた場所にあるギャラリーを教えてもらって行く気になったのは、以前住んでいたまちに近い場所だったから。
電車を乗り継いで、わざとひとつ手前の駅で降りて歩く。

20年ほど前に住んでいたその家は、当時から古かった。
もう取り壊されているだろう、と寂しい気持ちで見に行くと、なんとまだ健在であった。
またここに住むのもいいな、とちらりと考えるも、既にどなたかが住んでおられるようだった。
教えてもらったギャラリーは、以前よく行っていたアンティーク屋さんだった。
珍しくぶらぶらしたくなり、本屋さんをはしごしたり通りかかったギャラリーに立ち寄ったりして、なんとなく気になった喫茶店に入った。
お店のドアを開けたら好きな曲がかかっていた。
店主は声のよく通るおじいさんで、ていねいに淹れてくれたコーヒーはとてもおいしくていい気分でお店を見まわすと、メニューも実に好ましかった。

最近あてもなくぶらぶらするなんてこと、なくなったよねぇと友だちと話していた舌の根も乾かぬうちになつかしいまちをぶらぶらしたその晩は、やっぱりいつものお店で一杯。
その席に座っていてくれると安心しますよ、と店主に言われて、調子に乗って根が生えるほど飲んでしまった。途中、おさわりOKのかわいこちゃん(ねこ)を思うぞんぶん撫でくりまわして、ねこの充電も完了。
帰り道、おさわりOKのかわいこちゃんをいじめるけしからんねこ(店主談)と遭遇したので、あんた、いじめはやめときなさいよ、と僭越ながら進言。けしからんねこは、なんだこのよっぱらい、と怪訝な顔でこちらを見て去って行った。
この日の戦利品のひとつ、すてきな包み紙のお店のドレッシングの封を切って明日のおべんとうのおかずを、もくもくとつくる。
休日以外もどこか水の見える場所でおべんとうを広げようかな、と、もくもくとつくる。

2019年4月18日木曜日

そば屋へ行くつもりじゃなかった

例によって深酒した翌朝、目覚めるととてもよい気分であった。
この時間なら軽く朝ジョグをキメられる。

しかし布団の中であれこれ考えているうちに、考えが変わった。
そうだ、あのおそば屋さんへ行こう。

今朝はいつもの「おはよう!商店」をやめて
朝ソバとしゃれこむのだ。


いそいそと「土俵そば」への道を急ぐ。
「土俵そば」は早朝からお店を開けており、フライト前の「はとエアライン」の機長や夜間飛行を終えた「こうもりエアライン」の機長、「はっしゃオーライ!」のタクシードライバーなどで、うす暗いうちからにぎわっている。
ハナニラやパンジー、エニシダでにぎやかな店先で店主にあいさつして、のれんをくぐる。
おそばを注文して、なぜ今朝はここにしようと思ったのかと考える。
久しぶりに行く大相撲五月場所が愉しみだからか。
先日、ジムで臥牙丸関のトレーニング姿に目を奪われたからか。
パンパンにつまったおいなりさんをながめながらおそばを食す。
おいなりさんの隣のおにぎりもはちきれんばかりに丸々としており、やはり臥牙丸関は大きかったな、と改めて思う。

いつもと少し違う道を歩く。
築100年をとうに超えた、以前からちょっと好きな建物は健在であったが、それにしてもあちこち変わったなぁときょろきょろして歩く。
通勤途中であることをうっかり忘れた、ある朝のはなし。

2019年4月11日木曜日

花見でなく、つぼみ見

毎年呼んでもらっている花見へ、今年も行くことができた。

花見というものは、時期にアタリをつけるのが難しい。
この花見も例外ではなく、かつては三分咲きだったり、花吹雪だったり、にわか雨だったり、したこともあった。

目的地が近づくにつれて、桜の花が少なくなっていく。
たしかつい先日この近辺を通ったときも、桜はこれっぽっちも咲いていなかった。
誘ってくれた友だちも心配していたっけ。
でも、桜なんて口実に過ぎない。目的は、一年ぶりにみんなに会うことと
地元の酒蔵の、新酒発表会。

その前に、ホストクラブ山の店へ。
ナンバーワンホスト・石松は、変わらずマウンティングの嵐であった。
ひとしきり遊んだあとに、今年初めての(店主さえもまだ賞味していない)山菜をいただく。きれいな緋色をまとったウドは、今まで食べたどのウドよりおいしかったなぁ。
いつも無口な店主の息子から今年から始めるというトレイル大会について話を聞くうちに、なんだか走りたくなってきた・・・気がした。

お花見はやはり「つぼみ見」であったが、久しぶりに会うみんなと豪華すぎるお料理とおいしい新酒で、気持ちよく酔った。隣に座った山男が音楽をかけてくれた。

隣の団体はご当地アイドルのオフ会だったらしく、山男はシャレで握手会の列に並びにいった。それを眺めていたら、なにやらむずむずしてきた。
アイドルといえば「R.Y.O.G.O.K.U」を唄って踊る彼らもアイドル。

カラオケではアイドルの曲しか唄わないと言っていた仕事関係のひとと別の日に10年ぶりに再会したが、おとなしく無口で五月人形のようだった彼は、ご立派になられていた。

2019年4月10日水曜日

春雷

その日を心穏やかに迎えることができてよかった。
何年たっても悲しいこの日だけれど、朝からいい予感しかなかった。


時間を決めずにふらりと行った場所にて。
もの想いに耽っていたら、後ろから声をかけられた。振り向くと、以前お世話になったひとであった。

今や傘職人のそのひとは、たいへん義理堅い。
この場所でばったり会えたことは、ありがたいことだった。
あたたかい甘茶をいただきながら、これからどうするの、と訊かれるもそこはノープラン。

ひとまず電車に乗ってかばんを開くと、旅の本と駅弁の本が入っていた。
ノープランとかいってやる気まんまんじゃないの。
離陸直前の「はとエアライン」に乗りかえて、結局いつもの場所へ。
砂浜にたくさんのさくら貝が、と思ったら、さくらの花弁であった。
途中、犬のすーちゃん(仮名)と出会って、しばし遊ぶ。
すーちゃん(仮名)を連れていたおじさんは、毎朝5時にふたりでこの浜へ散歩に来るとのこと。この日は朝、雨降りだったので、偶然ここで出会うことができたというわけ。
肌寒い日であったが、おじさんは海パン一丁になってシュノーケリングを始めた。
すーちゃん(仮名)とおじさんと別れ、魚も食べず、酒も飲まず、春のケーキも食べずに「はとエアライン」に乗り込む。
グッバイビールをキメてうとうとしているうちに雨が降りだした。


毎年この日の晩は「ニューねこ正」と決めている。
海へ行ったのに魚を食べなかったのは、ここでゆっくりしたかったから。
美人女将と話していると、雷が鳴った。
あと半分だけ、と言ったのにしっかり1本熱燗をつけてもらって、大切な一日は終わった。

2019年4月4日木曜日

三助よ、背中を流しておくれ

先日行った温泉にて、男湯にのみ、ねこの三助が来たらしい。
その三助は突然露天風呂に現れて
「ンニャ~(お背中流しましょうか)」と声をかけてきたとのこと。
丁重にお断りすると、しばらく湯気にあたってからどこかへ歩いて行ったらしい。

後に玄関で会った三助に、なぜ女湯に来なかったのだ、と不満をぶつけるも、三助は
「ンニャ~(またどうぞ)」とつれない返事。



「すべすべ温泉ねこぞの」には三助だけでなくすべすべマッサージ師もいるし、湯ぶねでちょっと一杯だってできる。
湯ぶねで飲るなら「男の酒 綱取り」がおすすめ。
個人的には、熱燗が好きだ。

むかしむかし行った温泉では、たしかビールを飲んだ。
初夏だったか。当然フンド氏は男湯、私は女湯でそれぞれ缶ビールのプルタブを開けた。
女湯でひとり缶ビールはちょっとナニであった。

2019年4月2日火曜日

おしゃれをしよう、自分のために

憂鬱の象徴でしかなかった桜が珍しく美しく見えたある夜のこと。
友が、急に語りだした。

「実は、話していて全然楽しくなかった」
「実は、少しずつ、すーっとイヤになった」
「実は、正直1ミリも尊敬できなかった」
「実は、ばかだなぁってずっと思ってた」
「実は、どうしても好きになれなかった」

付き合っているような、いないような男への、ずっと我慢していた本音。
まださよならしていないのに、すべて過去形であることから、友にその男への気持ちが無いことがわかった。

たしかに・・・
あなたには、あの男は違うと思ってた、ひどくださいし、やさしくないし、と、こちらまでうっかり本音がこぼれ落ちた。友は大きく頷いた。



いらない男のことはさっぱり忘れて、新しい洋服を見に行こう。
おしゃれは自分のためにするもの。おしゃれはスタイルだから。


なんてことを教えてくれたのは、
いつも控えめな「スナック女将」のママだったか、それとも
美と人生のプロフェッショナル「サロン・ド・こけし」のマダムだったか。



好きな洋服と好きなヘアメイク、こんなに心弾むものはないのに隣にいるのがアレじゃあねぇ、と友は歯を見せて笑った。
ちげぇねぇ ちげぇねぇ

2019年4月1日月曜日

活字中毒ではなく依存症

田辺聖子依存症になり、貪るように読んでいた時期があった。
多作な著者なのでしばらく困ることはなかったが、ついにディグの壁にぶちあたった。
女流作家が苦手だったので新規開拓が難しく、信頼する本屋さんに愚痴をこぼすと、こんなのどうでしょう、と次にお邪魔したときに用意してくれていた。
長時間の移動中、座席が狭いのも忘れるほど一気に読んだ。
用意していたワインは封も切らず、読み終わってからも同じところを繰り返し読んだ。

出てくる女たちがみんな好きなタイプだし、なにより溜飲が下がりまくった。私の悩みごとなんてこれっぽっちも話していないのに、なぜこんなにぴったりくる本を用意してくれたのだろう!

さらに、最近入手したブルーレイやCDなどが、ことごとく大当たり。
眠たいのに、いつまでも見入り聴き入る毎日。

これからは、おいしいものしか食べないしおいしい酒しか飲まないぞ、と決意した。(そんなことはどこにも書いていないし唄ってもいないが)
がまんしていた「ぺろりレストラン」のスパゲッティハンバーグだって、いずれ食べちゃうんだから。