2019年8月30日金曜日

素朴絵展と原田治展と友だちの展示と、あとなんだっけ

特にがんこなわけではないが、コーヒーなら「喫茶ニャーゴ」
新たな本を探すなら「オロロン書房」
勝負酒場なら「ニューねこ正」
(勝負ってなんだ)
傘を探すなら「しとしとぼっちゃん」
等々、決めごとがある。
どのお店も、歩いていて見つけた。
あてもなく歩く、ということをしなくなって久しい。歩かないと愉しいことは落ちていないのに。
音楽やラジオを聴きながら、あるいは長電話しながら歩くのも、景色が違って見えて面白いもの。
ブリブリでゴリゴリな曲に変わると気付けば肩で風切って歩いているし、遠く離れた友と話しているとたとえそこが駅ビルであっても、目の前に海が広がる。

久しぶりに予定のない土曜日、行きたかったところ全部に歩いて行きますか。
(まずは今晩飲みすぎないことが重要)

2019年8月26日月曜日

思春期がやってきた

山登りの帰りには、大盛り蕎麦を食べた。
私、3人前じゃなくて大盛りを頼んだんですけどって言いたくなるほどの量だった。
誰より早く完食した。


年齢ひと桁の姪たちは、すでに大人と同じ量の食事を食べる。
ある日の遅めのランチ、やつらはステーキとハンバーグを平らげていた。
普段なら選ばない、中学生男子の喜びそうなボリュームのあるメニューを選んだのは、姪たちに煽られたわけでは決してなく、朝からなにも食べていなかったから。
もちろん完食した。


別の日のランチは、餃子のおいしいまちの中華屋さん。
前日の食べすぎのため朝食は抜いたが、昼どきになるとお腹は空くのね。
禁断の昼酒も手伝って、ものすごい量の餃子が次々に胃袋に吸い込まれていく。
当然完食した。


50の声が聞こえる年になったというのに、食欲が衰えない。
最近では、酒よりも食いに走っているケがある。もちろんその結果もきっちり出ている。
以前、今が思春期なんじゃない?と誰かに言われたときにはまさか、と笑ったが、もしかして・・・
せっかく父さんと一緒に脂肪分を持って行ってあげたのに!

2019年8月23日金曜日

宝物は盗撮写真

夏休みが終わり、また退屈な日が始まると思ったら、毎日なにかと忙しくて気付けばソロ活動をしていなかった。
閉店後の「ニューねこ正」で美人女将や大将やおにいさんと立ち話をするだけの日々。
この夏のリア充ぶりを話すには、腰を据えて臨まなければならない。

毎月一度会うみなさんと久しぶりに皇居を走った。正確に言うと、同じ時間に皇居周辺にいたことはいたが、ソロで走ったのちにみなさんで恒例のおいしいものを食べに行った。
久しぶりに走る前の、あの根拠のない「できる」気持ちはどこからくるのだろう。毎回それでぶっ飛ばして失速するのが常なのに。湿気で息が詰まりそうだったが、途中初対面のメンバーのひとりとばったり会って(Tシャツが目印)喋りながら気持ちよく走ることができた。



「アフター6ジャンクション」の今週の夏の推薦曲がよすぎて、子どものように遊んでいただけの今年の夏に、まるでなにかがあったかのような錯覚を起こす。
今年の夏のごほうびは、義兄からもらった写真。その写真を見たとたん、なつかしくて胸が詰まった。

こんな表情よくしていたなぁ、と、消えそうになっていた記憶がその写真の数々によって戻ってきた。
昔から写真を撮られるのは苦手だったが、義兄によって盗撮された写真は宝物になった。

2019年8月22日木曜日

人はなぜ山に惹かれるか

山に囲まれて育ったが、登山は嫌いだ。

なぜなら初登山が大雨で、想像していた楽しい山歩きとはまったく違う恐ろしいものだったからだ。
あのとき同じ大雨の初登山を経験していながら毎夏あちこちの山に登っている同級生たちに誘われて30年以上ぶりの登山に挑戦したのは、来月に迫っている初トレイルランニングの大会の練習になるかなぁと思ったから。

しかし記念すべきセカンド初登山の日は、台風により豪雨警報が発令されていた。

事前に行われた登山会議で初めて会った山男は、目が醒めるようなイケメン。
眼福、眼福、とイケメン山男を拝みながら飲んでいるうちにいつの間にやら泥酔、どのような話し合いになったのか覚えていない。
そして豪雨の中登った北アルプス燕岳。
その山小屋でもまた、同級生やイケメン山男が担いできてくれた大量の酒を浴びるように飲み、二日酔いで目覚めた翌朝は快晴。
下山前、痛む頭と動かない胃を抱えて山頂まで軽く走る。
山頂は岩場で、風が強くて足が震えた。りんどうの花がきれいで、ホシガラスという鳥の姿も見ることができた。いつの間にか体調はよくなっていた。

下山はなにより気を張らねばいけないので、常に目の前のイケメン山男の足運びを見ながらもくもくと進む。晴れたこの日は登山道も大渋滞。前日はホットコーヒーを求める客がちらほらいただけだった合戦小屋も、この日はスイカを求める登山客でごった返していた。

ケガなく無事に下山することができたが、実は体調不良であった上に二日酔いが重なり、来年もまた行こう、というみんなの声に即答はできなかった。

2019年8月21日水曜日

残念じゃない残念会

年に一度、信州は諏訪湖でおこなわれる諏訪湖花火大会。
とあるスジからよい席をご用意いただき、初めて観たのは一昨年の夏だった。

フンド氏がいなくなってからは花火自体にさほど興味もなくなり、花火に浮かれる人たちを見るのが愉しいくらいだったが、この花火大会は湖上に上がる大きな花火がとてもきれいで、送迎からイスにおつまみに酒とどこまでも用意してくれる友だち(全員酒飲みなのに運転手は飲めないし!)には感謝しかないし、なにより夏の定番になった。

さて、その諏訪湖花火大会、今年は台風の影響で開催が難しいのでは、ということで前日まで天気予報とにらめっこだったのだが、結論からいうと無事開催された。
私たちはというと、いつぞやの雨の花火大会での二の舞になってはいけないと、幼なじみやそのスジの友だちは残念会への変更を決断。

残念会はそのスジの友だち邸でおこなわれた。
そのスジの友だちは、たまに手伝っているというシードル醸造所の、吸いこまれそうな赤が美しいいちごのワインとハモンセラーノの原木セット(!)を用意してくれて、さらにそのシードル醸造所へ連れていってくれた。
木の匂いがさわやかな醸造所に入る前に、庭のりんごを見物。
見たことのない枝ぶりと実の付き方のりんごはハニールージュという名前で、実は大学で研究された上でうまれたシードルのためのりんごとのこと。
落ちていたりんごをかじってみると、中まで赤くて渋味がある初めての味。
残念会はいちごワインからスタート。
いちごしか使用していないこのワインは辛口で香りもすばらしく、いつまでも飲んでいたい味。2週間にわたっていちごのヘタを取る作業をしていたときは、この匂いもイヤになったよ、とイタリア人マフィアのような風貌のそのスジの友だちが笑った。

そのスジの友だち邸はとてもすてきで、彼の好きなものであふれている優雅な家。
ベランダにはカヤックが吊られ、リビングのテーブルには幼なじみが持ってきてくれたごちそうがところ狭しとならび、奥のテーブルにはハモンセラーノの原木が鎮座。リア充感満載であるが、これは残念会。
あの雨雲は諏訪湖に向かっているね、とか、今ごろ諏訪湖は降ってるね、浴衣とかびっしょりだね、などと花火ディスで盛り上がり、辛口シードルや雷電ビール、とっておきのとうもろこしにハモンセラーノもしっかりごちそうになっているうちに夜は更けていった。

2019年8月20日火曜日

会津柳津ひとり旅

西へ向かうときは東京から、北へ向かうときは上野から。

いくつかある不文律に従って、夏休み突入前夜はフンド氏の父上行きつけの店で一杯。
「相撲茶屋さばねこ」に不文律はビタイチないが、生まれ故郷が会津である父上が行きつけだった店にいるだけで、会津旅の気分が高まるってもんよ。

数時間後に夜行バスに乗り、うとうとしているうちに郡山へ到着。
顔を洗って顔面をつくって会津若松へ。調子にのって会津若松駅で朝ラーをキメて、ついにあこがれの只見線に乗り込んだ。

今回はフンド氏の父上の生まれ故郷をたどる旅ではなく、先日見た展示で出逢った木版画家・斎藤清氏の美術館に行く旅。思い立ったら行ってしまおうと、強行したのだ。

只見線の車窓からは、私の田舎に似た田園風景が広がる。ぼんやり眺めていると、田圃から突然いのししの子が現れた。
通路を隔てた隣席の中学生に倣って靴を脱いで向かいの座席に足を投げ出し、途中から並走する只見川に見入っているうちに、目指していた会津柳津駅に到着。
しばし鄙びた駅舎を観察したのち、お手洗いの前でもがいていたくわがたを救助して坂道を歩き始めた。
「メンキー&ノンキー」でみつけたワンピースで気持ちだけめかしこんだこの日。
強い日差しの下、日傘を差して大きな只見川を横目に歩き進むと、すぐにおめあての斎藤清美術館に到着。
ぱりっと清潔な暖簾をくぐって中に入ると、窓の外には只見川や山や田圃がひろがり、いっぺんにここが気に入った。作品を見る前にしばし館内を見て歩く。

目的だった木版画の数々はそれはもうすてきだった。
晩年の作品である会津の冬景色は何点もあり、暖かい家の中から雪深いこの地をながめているような気になった。かこさとしさんにも感じることだが、絵を学んでいない人ならではの巧さと味があふれている。
その後立ち寄った彼のアトリエで窓から見える作品そのままの風景に驚き、またアトリエの持ち主であった彼の従姉妹にあたる方のていねいな暮らしぶりや毎日の食事、綿々と続くこの地の人びとの暮らしなどを聞いて、再度美術館に戻りたくなったがおなかも空いた。
会津柳津は、たいていの場所は徒歩で行けるのに見どころの多い不思議なまち。温泉街もあるがこの旅はゼロ泊なので時間がなく、足湯に入ったり魚渕でうぐいをながめたり、この晩おこなわれるという大きなお祭りのために町中がわくわくしているのを感じながら町なかをほっつき歩いたりしているうちに時間がきた。
そばでも食べたかったが時間がなく、通りすがりの商店でメンチコロッケと缶ビールを手に入れて駅へと急ぐ。途中、この地の名物であるあわまんじゅうをお祭りのためにフル回転でつくる湯気に誘われて、それもひとつ。
両国名物「両国の恋人」に負けず劣らず、見ため以上においしいメンチコロッケとあわまんじゅうに、次回は必ず泊まりで来ようと、後ろ髪を引かれすぎて首がもげそうになりながら帰りの電車に揺られた。

2019年8月8日木曜日

どこかで祝っていて

旅の翌日、友の庭で採れた野菜を使って友に教わった料理をつくった。
飲み歩いてばかりの身としては、数多い料理上手の友だちの生活を目にするたびに猛省。もっと早く目覚めていれば、と何度思ったことか。
この気持ちが消えないうちにと、帰宅するやいなや出汁をとったりアレしたりコレしたり。
「レストラン両国駅」か資生堂パーラーか、ってくらい完璧なオムライスにも、いずれ腰を据えて挑戦しよう。
おみやげにもらった純米吟醸を啜りながら没頭していると、玄関のベルが鳴った。
届いたのは、まったく同じ箱ふたつ。
自分で注文したTシャツと、誕生日プレゼントのTシャツ。中身もまったく同じ。届いた日も同じ。まさかのバッティング!でも2倍うれしい。
アラフィフなのに、Creepy nutsのTシャツなんてどうなのよ、と何度も買うのをためらったこのTシャツ、さっそく誕生日の朝に着て出かけた。
とはいえ、前の晩には誕生日のことなどすっかり忘れて「おいてけ堀」へ旅のおみやげを提げて参上、いつもより濃いホッピーにあっという間に酔っぱらって、前後左右不覚のまま帰宅。誕生日がこんなにどうでもよくなる日がくるとは思わなかった。
8月8日はボキの誕生日でもあり、結婚記念日でもあることまで忘れているんじゃなかろうね、と酔ってどこからか採ってきたえのころぐさの向こうでぼっちゃんがうらめしい顔をしていた。

2019年8月6日火曜日

家に着くまでが竿灯まつり

友の待つ北へと向かった。
四十路をとうに越えてから仲よくなった友が誘ってくれた旅。
今回の旅のテーマは、竿灯まつりとさざえ。
冬にしか見たことのなかった千秋公園のお堀に見事な蓮が咲きほこっていることに驚いたり、竿灯まつりの準備をしているのをながめたりしながら向かうと、日傘を差した友が待っていた。
友とは仕事でもつながりのあった、私も大好きな陶芸家による出張風鈴絵付け教室が、数日前に決まった。陶芸家は、大好物の「わだち」とメロンを提げてやってきた。
初めての稲庭そうめんと友の庭の野菜のお料理、陶芸家の実家のなすの素揚げなどで昼食。友の手料理はいつもおいしい。

絵付けをする風鈴は思いのほか大きくて、丸腰で臨んだので妙な汗を大量にかく。せっかくならおみやげになる風鈴にしたくて、つい今しがたごちそうになった稲庭そうめんと薬味オールスターズの絵を描いた。ねぎを描き忘れていた!


陶芸家が帰り、昼前から飲んでいたビールを再開。
話は止まらず、気づけば外は暗くなっていた。初めて見る竿灯まつりへ歩いて向かう。

東北の三大祭のひとつ、ということしか知らなかった竿灯まつり。
稲穂を模しているという提灯が、大中小とゆらゆら揺れているさまは夢のようで、本当に見ているのだろうかと何度も思うほどだった。友も同じことを思ったようだった。

時間になると、見物客も道路へ出て竿灯を持たせてもらうことができるというので、一番小さい小若狙いで品定めしていたら、中若の竹を握った人と目が合ったので中若を持たせてもらった。持つだけでも重いのに、さらに竹を長くしておでこや肩・腰で支える技なんて、いったいどうしたらできるのか。
すべて終わって戻り竿灯。
太鼓や笛の音はそのままに、竿灯は倒した状態でそれぞれの場所へ戻ってゆく。
そして帰る途中でまた演技が始まった。
以前、マッチをたのまれてつくったお店の目の前だった。
なんとも勇壮で、なすがっこをつまみにビールを飲みながら友と呆けた顔で見上げる。

竿灯をかつぐのは男のみで太鼓を叩くのは女がほとんど。彼ら彼女らを見ていると甘酸っぱい気持ちになる。
夏だし祭りだし、竿灯がきっかけで付き合ったりすることあるでしょう?もっといえば竿灯婚、いや竿灯ベビーとかあるんじゃない?と友に聞くと、聞いたことないと冷たい返事。あの太鼓の子はかわいかったから、中若をかついでいたあの子とくっついたらいいのに、とか、いつ告白するのかな、など妄想が止まらず、夜更けまでそれは続いた。
翌日はこの旅のもうひとつのメインテーマ、さざえを求めて半島へ。
今年はさざえが不漁だそうで、事前にお願いしておいてくれたさざえ小屋へ取りに行くことになった。めったに見ることのできない日本海をながめながらも、まだ竿灯カップルの妄想が止まらない私。
お願いしておいてくれたさざえは、その量を上回るおまけさざえ付き。
さざえが大好物だったフンド氏ならずとも、その場で指でほじって食べたくなる気持ちを堪えて、浜に下りる。
友はどこから見てもプロの手つきで次々に獲物を捕らえた。水がきれいで魚が泳ぐのがよく見えるので、魚がいるよ、と言うと、海だからな、と言われて納得。
さざえが死んじゃうからさっさと帰るよ、と言われて渋々帰路へつく。今夜は大若をかつぐんだ、と意気込む私のためにこの日の予定も詰まっていた。

友がコツコツつくった庭でくんせいをつくっては食べつくっては食べ、ついにさざえの登場。生はもちろん、茹でたものが本当においしくて無言で口に放り込む。さらに、さざえと並ぶフンド氏の好物・かつおのオリジナルたたきで米焼酎もすすむ。そして合間には絶えることのないマシンガントーク。
夏休みで帰ってきた子どもみたいだ、と何度も笑われた。

そんな調子でのんびり食べたり飲んだりしていたら、その晩出かけたときには戻り竿灯になっていた。
それぞれの町へ帰る遠い灯りを見ていたら、また竿灯カップルについての妄想が頭をもたげてきた。友は呆れてモノも言えないようだった。

翌日は昼竿灯へ。
4日間ある竿灯まつりのうち、3日も行ったことになる。
昼間見る竿灯はまさに稲穂で、細部がよく見える。
提灯や法被の柄、お囃子のトラックがそれぞれとてもよくて、そちらにも気を取られる。
デパートの中でもずっとお囃子が流れていて、街のどこかで必ず竿灯を見ることができる。こんなにおもしろいものとは思わなかった、と友に言うと、地元にいながら初めてちゃんと見たと言うので驚いた。

愉しい時はびっくりするほど早く過ぎて、あっという間にお別れの時間。
帰りたくないなぁとグズる私が一瞬で踵を返す魔法の言葉「元気をもらったよ」のひとことで現実に戻ってさっさと改札を通る。この言葉、私が大嫌いなのを知っていてわざと言うのだこの友は。
別れる寸前まで飲んでいたので、駅弁も入らないしお酒もいらない。
スイッチバックの駅まで暗く広がる車窓をながめていたが、気付けば寝入っていた。


両国駅にて。
どうしてこんなに重いのか、とキャリーケース(大)をふうふういって下ろしていると背後で聞こえた「Are you OK?」の声。
振りむく間もなく、自分の体重ほどもあるキャリーケースを片手で持ち上げて運んでくれたのは、目が醒めるような美形の若いサラリーマン。
ありがとうございます、としどろもどろで頭を下げた私に、彼は口元を上げてにっこり笑って去って行った。

帰宅するまでが旅ならば、最初から最後まで完璧というしかない旅であった。

2019年8月2日金曜日

すべて夏のせい

お世話になっている方に、ビアガーデンへ連れていってもらった。
ビアガーデンといえば灼熱のデパート屋上のイメージしかなかったが、そこは涼しい風が通る屋上庭園。ほどよい広さでにぎやかだけれどうるさくなく、おつまみもおいしかった。
少し酔ってから思いきって飲んだ「カレービール」は、キワモノではなくクセになる味。
お世話になっているその方との久しぶりの再会も愉しく、あとで送ってもらった写真を見たらとても遠くの場所に行っていたような気がした。

これからもう一軒行くんでしょう?と言われたが、いえいえ今夜は帰りますよ、とお別れするも、いつものひとからお呼び出し。今夜もビールしか飲んでないぞ、と前日も行った「おいてけ堀」へ急ぐ。
ひどく暑いからか、最近酔いがまわるのが早い。
前日もこのお店で相当酔ったし今夜はおとなしくしていよう、と決心したが、縄のれんをかきわけた先にいたいつものひとの顔をみて破顔一笑。さらにその3つ隣の席には、たまに顔を合わせるランナー青年。話したいことがたくさんある。おとなしくなどできるわけもなく、わいわい飲み始めた。
「おいてけ堀」の大将とママは昔、大きな洋館のレストランの広い庭でのビアガーデンに行ったという。想像してみたらあまりにすてきなので、みんなでため息をついた。


今週半分は、お弁当作りをさぼった。
やる気のないとき無理につくったお弁当はおいしくないので、やる気になるまで待とう。
弁当箱の入った袋を見て、何が入っているの、と訊かれ、愛妻弁当だよと答えたら、え、彼氏?というので愛妻だよ、と言うと、え、女と付き合っているの、と言われたので面倒になって、そんなところかな、と答えたことがあった。
あんまり暑いと、何もかも投げやりになってしまう。