2020年2月26日水曜日

せつない梯子酒

ランをお休みしているせいもあり、連休など存在も忘れていたのでなんとなく帰省。文太くんとのんびり話がしたかった。
両親と話していて文太のお母さんの話になり、文太のお母さんの写真を発見。体の大きさは違うが顔はそっくり。白い靴下を穿いているところも同じ。

元気に散歩する文太もやや体力が落ちたか。
これまでのようなロング散歩でなく、いつもと一本違う道を歩いたり近所に建設中の家をいつまでも眺める文太に付き合ったりした。

なつかしいお店でローメンも食べた。
むかしむかしラーメン屋の店主が夏場に麺を保存する方法を考えていた。麺を蒸したらカチカチになったのでそれを茹でたらなかなかよい感じになった。その麺を野菜や肉と炒めてくれとお客さんに言われて出来たのがローメンらしい。田舎にいた頃は食べたこともなかった地元の名物。

梅の香りがただよう山の中の、母の実家のお墓へも久しぶりに行った。
あの道を上りきったところに曼珠沙華がたくさん咲くお寺があると母が言う。曼珠沙華は彼岸花ともいうしきつねのかみそりと呼ぶ地方もある。お彼岸になり一斉に燃えるような赤が咲き乱れるさまは圧巻だろう。一度行ってみたいものだ。

母の手料理で晩酌を始めたころ、声を聞くのは20年ぶりくらいの方から電話があり台所で長電話。その方は最近かなしい出来事があったのだが、努めて明るくふるまう声と裏腹にさらに抱えきれない出来事が重なっており、なぜこんなことになったのかと怒りを通り越してせつなくなった。
長電話を終えた私を待っていたのはテーブルに顎を乗せた文太。なんとなくだったけれど帰省してよかったと思った。

たくさんの野菜を担いで両国へ戻り、いつもの店の前を通りすぎる際にメニューを横目で見ると、たこのから揚げを発見。荷物を置いて引き返した。
満員のカウンターで手を振る人は未亡人会会長。今宵は副会長とご一緒ではないのですね、とごあいさつするとその副会長が体調がよくないのよ、とのこと。
未亡人会のよいところは、相手に気を遣わせずに亡き連れ合いについて惚気ることができることと、さみしいと言えること。大先輩ばかりだけれど、そこは同じなのだ。
病気で連れ合いを亡くした人ばかりなので、病気の話になるとつい黙りこむ。それを紛らすために未亡人会のメンバーは梯子酒をするのか、この晩もまた梯子酒。

2020年2月21日金曜日

ハトをストーカー

懸案事項であった、もういない人への贈りものの手配を終えたら急になんともいたたまれない気持ちになったので、酒場へ急ぐ。
こんな夜は本でもめくりながら静かに飲みたい。そう思って席につくなりかばんを開けると、駅弁の本しか入っていなかった。駅弁の本を読みながら酒を飲むのはヘンなものであったが文字を読みたいのだから仕方ない。
肩を叩かれて振り向くとゴルチェおじさん。その隣のおじさんが駅弁の本を読んでいるのかい、と話しかけてきたことから新幹線や駅弁の話になった。仕事で行った新大阪からの帰り、途中の駅でお寿司屋さんに出前してもらって翌日すし桶を宅配便で返したこと、一升瓶を持ち込んで宴会していて寝過ごして車庫に行きそうになったこと、車内で注文をとって受け取る米沢牛の弁当がいちばんうまかった、などなどおもしろい話をたくさん聞いているうちに禁断の4杯めに手を出してしまった。いたたまれない気持ちは少しだけ軽くなった。

翌朝はひさびさにヒロシ体操の時間に目覚めて、いい具合に空腹でもあったため早朝ソバへ。
今日は歩いていくの、と女将さんに言われてはい、今日こそは、と気合いが入る。

我が家よりも満開の沈丁花や梅の香りを吸いこんで気持ちよく歩いていると、路地の向こうから夫婦ものなのか友だちなのか2羽のハトが並んで歩いてきた。仲のよいことよ、とハトたちに向かって歩いて行くと、彼らの背後に不審な男性。尾行しているとしか思えない執拗さで彼らの後をつけている。うしろ、うしろ、と心の中で大声で叫ぶと彼らはものすごい早さで走っていった。
そこは飛べばよかったのではないか、と彼らのうしろ姿を見て思ったが、彼らも歩きたい気分だったのかもしれない。

2020年2月20日木曜日

残念会はモンゴルのワインの香り

友だちとその会社のみなさん(初対面)との、ちょびランと残念会に参加。
この日のメンバーは私を入れて6名、そのうち4名が東京マラソンに当選しており来たる3月1日にむけて調整していたとのこと。この日も練習の一環で予定していたがまさかの残念会になってしまった。

私はといえば東京マラソンは落選で、しかも走るのは1ヶ月以上ぶり。ウェアもシューズも久しぶりだったが、友だちとその会社のみなさんとの夜の街ランは愉しかった。東京マラソンは来年におあずけになったためちょびランは5kmの予定だったが、終わってみればハイペースで7km走っていた。

一時話題だった例のシューズを履いている者は皆無で、そのかわり見たことのないかっこいいシューズを履いているひとがいた。もしや・・・
「あんよ」で入手したのではないか。


残念会はやはりとても愉しかった。
近所に住む友だちが持ってきてくれたモンゴルのワインが味わったことのない香りと味でワイン好きなメンバーのひとり曰く何にも似ていなくて、みんなでこっそり味わっていたらあっという間に消えてなくなった。嗅いでいないと忘れてしまうようなめずらしい香りだったので、空のワインボトルをもらった。これから毎晩香りを嗅ごうと思う。

来年の東京マラソン出場が約束されたメンバーから、なんとか当選してみんなで走ろうよ、という話に。
そろそろジョグを再開しようかな、と思ったがまずはそれより朝のヒロシ体操より早く起きて徒歩出勤・徒歩帰宅生活に戻そう、早朝ジョグ後に早朝ソバ・徒歩出勤をキメていた数か月前の自分が輝いて見えるなぁ、と濁った頭で考えながら少し遠い酒場から徒歩帰宅。

2020年2月19日水曜日

あるなまけものの夜

労働で何年ぶりかの落語会へ行くことができず、肩を落として帰宅。
この落語会は落語好きの友だちに教えてもらった近所のお寺で行われるもので予約は電話のみ。少々ハードルは高いがこの友だちが勧めるということはつまり間違いがないということなので重い腰を上げて電話もしたというのに。

こんな夜は酒場になぐさめてもらうより家でおとなしくしていよう、とめずらしく帰宅したのはいいが今は怠け者の時期なのでPCを立ち上げてYouTubeで「西原商会」の社歌をじっと見たのちにふとんへイン。
今読んでいる本がおもしろくて目が冴えたが、やっぱり顔面に本を落とした。

2020年2月17日月曜日

旅に出るとまた旅に出たくなるのはなぜだろう

予定は未定でまたもやGDGDな休日を送るつもりが、妹に誘われて家族旅行にお邪魔。
行き先は教えないと言われてミステリーツアーのようでわくわくしたが、出発の前の晩にあっさり子どもたちにばらされた。

ホテルの部屋はとても広くて、姪っ子たちもようやく1歳を迎えた甥っ子も興奮していたが、海が目の前に見えるものだから中年も興奮。
前の晩からずっと食べて飲んでしゃべって、いつもはほどよくゆるいパンツがきつくて苦しくなったのは旅のおみやげのひとつとしてよいだろう。
山のレストランで食べたわさびごはんは別名・泣きめし。なるほど!
ずっとむかしにフンド氏の従兄弟ご夫婦に招待してもらった、メニューのないおそろしくおいしい和食屋さんでひと枝飾ってあった河津桜の満開の姿をたくさん見ることができたのが特にうれしかった。


たくさん食べて飲んで遊んだ旅の翌日からは、なるべく運動してカラダを元に戻したい。
そんなときにも「あんよ」のシューズは有効です。
でも最近は寝坊が多くて、朝は東京駅までしか歩いていないなぁ。

2020年2月14日金曜日

大人の同窓会

未亡人友だちと待ち合わせていつもの酒場へ登場。
いつもの席にいないな、と入口に突っ立っていると、ここだよと手を振る人たち。
以前このお店でみんなと一緒に飲んでいた、久しくお目にかかっていなかった人と未亡人であった。仕事が変わって飲む余裕がなかったとのこと。
偶然再会した3人でわいわい話していると、そういえばあの人もしばらく見ないね、という話になった。その人も含めて4人だったり3人だったりでよく同席していた。気持ちよく酔ってきて、誰からともなくその人に連絡してみようという話になった。
転勤でどこかへ引っ越しちゃったかな、自宅へ戻ったかな、などと未亡人友だちと噂していたが、あっさり電話はつながり数十分後に彼は現れた。
自転車で転倒してはよくケガをしていたその人はまた新たな場所をケガしており、お嬢さんの結婚が決まってふてくされていた。彼氏がいることも知らされていなかったのに、いきなり結婚ってどう思いますか、とため息をつくその人にかける言葉が見つからず。

たった1年かそこら顔を合わせていなかっただけなのに、子どもは育つし仕事も変わる。自分はなにか変わったかな、と濁った頭で考えながらへべれけで再会を約束した。

2020年2月13日木曜日

生肉担いだ休日

やはり飲みすぎたある朝早くに電話が鳴った。
このところやけに元気な友だちから、巣鴨行かない?とのお誘い。
なぜ巣鴨、と考える間もなく、じゃ昼くらいにと電話は切れた。

よく晴れた昼の巣鴨は北風が吹きすさび、逃げ場のない寒さであった。

誘ってくれた友だちのご主人はもともと歩くのは好きではなかったが、東京に転勤してから必然的によく歩くようになり、会うたびに体も顔も締まっていっている。友だちも商売をしていた頃はいつも疲れており両国橋を渡るのさえも渋っていたのが、今では歴史探訪の本を片手にあちこち歩き回って元気いっぱいだ。
どこか行きたい場所は、と訊ねると六義園に行きたいと即答。けっこう歩くけど、と言いかけてやめた。ふたりとも既に6㎞は歩いており顔色よくやる気満々だ。

途中親切なご婦人が、六義園に行くんですか?この近くの入口は今閉まっているからまだまだ先ですよ、それに今の六義園は見るものないわよ、となぜ我々が六義園を目指しているのがわかったのか突然話しかけてきた。寒さと空腹(そして私は胃腸の疲れ)もあり一同踵を返して地蔵通りへ。道中で食べた牡蠣のクラムチャウダーが傷んだ胃腸を少し修復してくれた。そこから歩きも歩いたり、結局昼酒をかましたのちに友だち夫婦の家でまた飲んで飲んで、途中寝たはずのご主人が起き出したころには立派な酔っぱらいに仕上がっていた。
いけない、もう帰らなきゃ、と帰り支度をすると靴の上に生肉2㎏と明太子。
なにこれ、と言いかけて思い出した。友だち夫婦の家に向かう途中の商店街でとんでもなく安い国産鶏むね肉と明太子を発見して購入、忘れちゃなんねぇとそこに置いたのは自分であった。
寒い中をどんなに歩いても、生肉2㎏をかついでも疲れ知らずなシューズは「あんよ」にあります。