2020年8月7日金曜日

顔ブローチの出稼ぎ

ブローチ展でお世話になっている壁ギャラリー・宵湖舎さん。先日久しぶりに立ち話した際に、この途方もなく長い夏休みの愉しいイベントを教えてもらった。

アサヒビール本社ほど近くのギャラリーアビアントでの蚤の市。本日8月7日から行われるとのこと。アーティストの方々のお宝や、作家さん作品なども販売されるそう。宵湖舎さんの出品される予定の商品がたまたま店頭に置いてあり、作品は何度も目にしているが大切にしているモノを見せてもらったのは初めてだったので、なんだか新鮮で根掘り葉掘り入手経路を聞いた。その翌日に、現在ブローチ展で置いていただいている顔ブローチを出品してもよいかとのメッセージが。もちろん、よろしくお願いしますと答えた。

みなさまもよろしかったらぜひ。きれいになった隅田公園横の東京ミズマチやすみだリバーウォークをゆっくり歩いてみたい方は特にどうぞ。それは私です。

マラソンレッスンは相当サボっているというのに、ある日突然コーチから飲みのお誘い。こんなときだけふたつ返事。誰が来るのか何人なのか知らされずのこのこ行くと、初対面の男女ふたり。違う曜日のレッスンに出ているという。ふたりともとても楽しい人たちだったのだが、でもどうしてこの場に私が、とコーチに尋ねると、ん~なんとなくとのこと。


コーチはもちろん、初対面なのに感じのよい人たちに気が緩んで2軒めの日本酒のスタンドバーで記憶をなくしたのは言うまでもない。

2020年8月6日木曜日

いってらっしゃい

近所の足場職人さんの事務所のビルに、半年に一度会えるかどうかのねこがいる。
子ねこの頃から、ガラスの扉越しに人差し指を差し出すとコロンと倒れる。
今朝もガラス越しに道行く人を眺めているのが見えたので、そっと近づいて人差し指を差し出したらやはりコロンと倒れ、倒れたついでに全身をつっぱって伸びをした。
ミルクティ色のうすい茶とらの子は、足場職人さんの事務所の事務員かもしれない。紅一点で職人さんたちのアイドルで、2階の事務所から脱走して入口で外を眺めるのが好きなのだ。
ふと視線を感じて振りかえると、クルマに乗りこもうとした職人さんたちが不思議そうにこちらを見ている。どうもどうも、と立ち去ったが、そうか、あの子は職人さんたちを見送っていたのか、と今さら気付いた。

2020年8月5日水曜日

誕生日は終了

ふうふう言いながら宅急便のおじさんがやってきた。幼なじみからの大きな箱を開けると、大きなすいかが鎮座。半分に切っても我が家の冷蔵庫にはおさまらないほどだ。そのほか、なすにししとうにピーマン、ムンクの叫びのような色のトマトに枝豆に、まだまだたくさん。なんてすてきな夏の贈りもの!
あわててすいかを半分に切り「ニューねこ正」へ向かう。
よく冷えているうちにすいかをおすそわけ。ついでに幼なじみの友だちのところで採れたというししとうが、どう見てもししとうに見えないのでそれも持参。
短縮営業が再開になったために閉店間際の雰囲気だったが、顔見知りのご夫婦がいて安心。
商売柄、食べものにくわしい「ニューねこ正」の美人女将も大将も板前さんも、この下原(しもっぱら、というらしい)すいかにはびっくり。そしてなぞのししとうについて尋ねると、食べた方が早いとその場で串に刺して焼いてくれた。新種の激辛唐辛子だったりして、と笑いながら口に運ぶと、見た目はつるっとした小ピーマンなのに味は万願寺に似たとてもおいしいししとうであった。
全然味が違うから食べてみて、と大将が枝豆を2種出してくれた。先日耳鼻科へ行ってよかったと心底思いながら食べ比べてみたら、ぜんぜん風味が違う。それもそのはず、だだちゃ豆と茶豆であった。晩酌はすませていたので満腹だったが、小肌を注文したのは調子に乗りすぎか。禁断の最後の客になってしまった。
帰宅後すいかを小さく切って食べると、幼なじみのいうとおり歯ざわりがよくてすっきり甘くておいしい。これが毎日食べられるなんて、と幸せな気分になったが、いつか無くなる日が来ると思うと悲しくなった。

べつの日。
愛用していた義兄作のお皿がまっぷたつに割れてしまい、適当に補修して使っていたのだがまた割れてしまった。どうしても捨てたくなくて義兄に相談すると、数日後にすばらしく豪華なお皿が届いた。しかも名入り。もったいないが使ってこそのお皿。このお皿に見合う料理を作ろうと決心した。まっぷたつのお皿も再度補修して使うのだ。

またべつの日。
晩酌しながら照ノ富士の取組をしつこく見ていたら妹からメッセージ。大好きな長崎の古着屋さんが立ち退きで閉店するそう。目の前が暗くなり久しぶりにホームページを見てみるも気付くと普通に買いものをしていた。翌日店主からメールがあり、次なる野望に燃えているとのことだったのでうれしかった。私と妹がお邪魔したときに教えてくれた、真夜中のスパゲッティならぬ真夜中のハンバーグが人気のお店のあたり一帯がやはり立ち退きで閉店とのこと。ショックだったがこのお店も場所を変えて営業するというのと、数えるほどしか行っていないお客のことを覚えていてくれたことがうれしかった。
後日届いた商品の中に、うれしい手紙とプレゼントが。これだから調子にのって親近感が湧いてファンになってしまう。

そろそろ今年も誕生日が近づいてきた。
特別感は皆無でなんの感情もなかったが、うれしいことばかりあったのでもういいや。

2020年8月3日月曜日

笑顔と涙の15日間

千秋楽への不安と期待を忘れるべく、ラン友のみなさんとLSDに出発した日曜日。今月のオーバーナイト60㎞マラソンのための練習を企画してもらったのだ。
前日はその練習会のための練習でひとりLSD。途中、素盞雄神社でバッタを見ながらおみくじを引き、待乳山聖天で大根の山を見ながらおみくじを引き、山谷堀公園では船に乗って吉原へ向かう気分で走った。
帰宅後は、照ノ富士の優勝を願い膝の上で照ノ富士タオルを握りしめていたが負けた。でもここで気持ちが切れる関取ではないし、と酒場へ向かおうとしたが、千秋楽は御嶽海との対戦というニュースが入りなんとなく中止。翌朝は新木場を出発してお風呂に入り葛西名物のカレー三昧の予定だったがすべて遂行したら中継に間に合わない。ラン友のみなさんに平謝りに謝ってランのみの参加とした。

翌日は最強の晴れ男の企画だけあり、梅雨明けにふさわしい快晴。一度渡ってみたかったゲートブリッジを目指して走った。朝10時からでないと昇降機を使用できないというので時間まであたりをうろうろしていると、そこにはものすごい人数の釣り人たち。ここでは穴子も獲れるらしい。ということは江戸前の穴子だね、とやはり穴子好きだというラン友とよだれを垂らした。
いよいよ昇降機を使用できる時間になったが、前を行くふたりは階段で行くというのでつられてついていったが心から後悔した。9階まであった。外は空がきれいでさわやか。ほとんど上り坂なので閉口したがとても気持ちよかった。ゲートブリッジは通行人は向こう側に下りることは出来ないので往復して戻る。復路はストイックに最前で走ったが頭は穴子のことばかり。
以前何度か行ったヘリポートを通過して葛西へ向かう橋に入る。あたりまえだが橋は上り坂ばかりでつらい。さらにそこからは幸か不幸かすべて青信号。疲れたと口に出すことさえできないほどつらかった。お風呂に向かうみなさんと途中で別れたとたんに電池が切れたように歩き、普段まったく食べない白くまアイスを貪った。

帰宅して準備を整えるとすぐに十両の相撲。若元春は決定戦の前に負けてしまった。十両決定戦が巴戦で同部屋対決。豊青龍がんばれ、と見守っていたが負けた。それにしても、続けて何番も相撲を取って優勝を決めた明生はすごいと心から思った。花道の奥で両手を広げて待っていた豊青龍の笑顔にこちらまで笑顔になった。前日の照強のドヤ顔とともに心の1ページにブックマークした。
明生を見たおかげで照ノ富士が心配になる。ただでさえあちこちを傷めているのに決定戦になったら体がもたないだろう。その前に本割で勝てばよいのだけど、と悶々としながら前日つくっておいたカレーを貪った。
応援タオルは広げず、やはり膝の上で握りしめながら固唾を飲んで見守る。結果、鮮やかに勝った照ノ富士の姿に思わず大声と拍手!勝ったあと上の方をじっと見ていたが自身の優勝額を見ていたのだろうか。笑顔、笑顔の照ノ富士だったが、優勝インタビューの言葉と涙ぐんでいるように見えた伊勢ヶ濱親方の姿に涙が止まらず。優勝パレードはないのでせめて少しでも長く照ノ富士を観ようと君が代から表彰式まで全て目に焼き付けた。

まだ明るい道を大股で歩いていると向こうから来る人が手を振っている。これから行く酒場の大将だった。先に行ってますね、とお店の引戸に手をかける。かわいこちゃんは今日はまだパトロール中かな、などと思いながら酒を啜ると、帰ってきた大将が外で手招きしている。指差す先にかわいこちゃんが。いつものガレージではなく自宅の二階の出窓であった。ということは、と大将を見ると、ついに家の子になりましたとのこと。もうひとりもいますよ、と笑顔。前からクルマやらいじめっこやら心配の種が尽きずずっと計画していたそう。
帰りにものすごい大声で見送ってくれたかわいこちゃんと、後で大将が送ってくれた幸せそうな動画にいい気分になって、禁断のもう一杯を飲んで早々に寝た。

2020年7月30日木曜日

世にも不思議なこと3つ

来月のオーバーナイト60Kmみちくさウルトラマラソンのための練習会、のためのちょびっと練習で皇居に登場。
待ち合わせ時間より早く着いてしまったのでお先に一周走りだしたら、以前は気にも留めていなかった歩道橋が気になっておもむろに階段をのぼる。とりあえず武道館まで行って帰ってこようと、蝉の声しか聞こえないしんとした木々の間を歩く。きれいになった武道館の写真でも、とカメラを構えると、人ごみで写真を撮ろうとしたとき通行人が立ちどまって待ってくれるあの感じがした。なんだか怖くなって元の道を戻ることにしたが途中で体が勝手に千鳥ヶ淵さんぽみちへ。まだ明るい時間帯なのに木々に囲まれた小道のせいか暗くて静まり返っている。早くここを出ないと真っ暗になってしまうと焦って走りようやく道が開けた。安心してお手洗いへ向かい一歩足を踏み入れると、白い壁にとんでもなく大きな蜘蛛。とっさに頭に浮かんだのは「タランチュラ」の名前。悲鳴をあげて逃げた。後に合流した友だちにそのことを話すも信じてもらえず。
その晩みんなで食べた餃子やなにもかもがとんでもなく美味しかったので、まあいいか。


国技館で相撲を観るのは場所中か大相撲トーナメント・福祉相撲や断髪式くらいだが、木戸銭がお高いのでそうそう何度も行けるものではない。今場所は特別だけれど。
数えるほどのその機会に必ず見かけるあるおじさんは、けんちゃんが扮していそうななんともおもしろい風貌をしていて(いいよな男かデシ男)無料有料問わずどんな相撲イベントでも毎回会う、気になる存在だ。ただし見かけるのは入り待ち・出待ちでのみ。つまり今場所、おじさんはいない。
そういえば雅山が現役のとき「みやっびやっま~」と大声で叫ぶ人がいた。雅山本人にはもちろん、だれかれかまわずに「みやっびやっま~」と言うので豊ノ島など「オレ雅山って言われちゃったよ」と苦笑していた。

2020年7月29日水曜日

今場所最後の相撲見

場所中に三度も国技館へ行ったことは今までなかったが、どうしてもあと一回行きたくて半休をとった。
悩みに悩んで霧馬山と照強の応援タオルを追加。席についてあたりを見まわすと、イス席Aから上はほぼ誰もいなかった。なんてさみしい。って大半のひとは仕事してるのであった。
国技館は何度来ても気持ちが高揚するなぁとうきうきしているうちに気付けば弓取式。またしても時間泥棒にやられた。

照強・玉鷲戦で新品の照強タオルを取り出すと、正面中ほどの升席に玉鷲タオルを掲げている女性を発見。見える範囲では応援タオルを掲げているのは私とその女性のみ。私とその女性の戦いといえなくもない、こともない。でも玉鷲も好きなんだよなぁと頭の片隅で考えたのがいけなかったのか、照強は負けた。
気持ちを入れ替えて霧馬山・竜電戦に向けてやはり新品の霧馬山タオルを取り出す。以前近所の中華屋さんでばったり会ったナマの竜電のかっこよさをふと思い出したのがいけなかったのか、霧馬山は負けた。
少々くたびれた感のある照ノ富士タオルはその威力を発揮してくれたが、五日目に訪れた際には初黒星だった。むかしむかしフンド氏に口をすっぱくして言われたことを思い出した。

時津風部屋の前を通って出勤していたころ、今は勝負審判をしている土佐豊が道端でもくもくと筋トレをしている姿を見てファンになりある日思いきって声をかけたら、その直後の場所で大怪我を負い休場。お前が声をかけたからじゃないのかとフンド氏に言われたがどこ吹く風。若いころにサラブレッドの牧場で働いた経験のあるフンド氏はサラブレッドのカラダを見ることが好きでよく競馬場にも連れられて行ったが、一緒にレースを見ていると必ず馬券が外れた。競馬場だけでなくTV観戦でもそうだったしフンド氏だけでなく父のときも。どうやら自分には勝負事に負けさせるなにかがあることに気付き、それからは関取には声をかけず競馬を観ることもない。

残り五日間はおとなしくしていようと心に決めて跳ね太鼓を聞きながら国技館をあとにすると、目の前に見たことのある人が。たっつけ袴を着ていなくてもマスクをしていてもわかる。呼出の邦夫だ。
呼出さんなら声をかけてもよいのではないかと思ったが、今場所は力士や親方に声をかけたりするのはおやめくださいと言われている。思わず立ち止まってしげしげと見ていると、何かを察したのか伏し目がちに歩を早めた邦夫であった。

2020年7月27日月曜日

結局相撲見

どうしてもまた国技館へ行きたい気持ちを抑えて久しぶりに荒川までちょびジョグ。来月のオーバーナイト60kmランのための練習のLSDを来週に控えており、ラン友たちに迷惑をかけたくないので。
カラダは重いがまずまず走れるな、とゆるゆる走っているとステキなモノをいくつも発見。


全部で20ほど発見したが、どれも好きな雰囲気で感心した。江東区すばらしい。

そういえばなにしに来たんだっけ、と我に返ってしぶしぶ走る。途中の公園で、毎日走ってるの?えらいね、とおじさんに声を掛けられたので、たまにです、と恥じらいながら帰宅。さっそくPC桟敷で相撲観戦を始めてテレビ中継が始まってからはふたつの画面で食い入るように観る。若元春スゴいな、照ノ富士いいぞ、PCだとこれまたいいな、と空腹を抱えて興奮。今夜はワインにタパス的なものをと思いながらも腰を上げることができない。
18時を過ぎて照ノ富士の場所前の動画を見て涙が止まらず、この涙はいったいなんだろうと考えた。
横綱に近いと言われていた大関のころ、ケガの治療やその他の病気が重なり番付は急降下。引退を考えたが親方に治療に専念して治ったら考えろと言われたことは知っていた。そこから着々と番付を上げて今に至るわけだが、そこから先は自分の人生、自分を信じないと勝てないと訥々と語ったその言葉がいちいち刺さったのだ。自分なんて信じたことないなぁ。それにしてもいい親方だし、いい部屋だよなぁ、とまた涙。
昨夜の続きの「ふぞろいの林檎たちⅢ」を見始めてまたまた苦しい気持ちになる。やっぱり中島唱子が苦しい。これからどうなっちゃうの、とハラハラしながら食べたフンド氏のお下がりのホットドッグはとても美味しかったが、もう「ふぞろいの林檎たち」とはここらでお別れしようと決めた。