2020年7月30日木曜日

世にも不思議なこと3つ

来月のオーバーナイト60Kmみちくさウルトラマラソンのための練習会、のためのちょびっと練習で皇居に登場。
待ち合わせ時間より早く着いてしまったのでお先に一周走りだしたら、以前は気にも留めていなかった歩道橋が気になっておもむろに階段をのぼる。とりあえず武道館まで行って帰ってこようと、蝉の声しか聞こえないしんとした木々の間を歩く。きれいになった武道館の写真でも、とカメラを構えると、人ごみで写真を撮ろうとしたとき通行人が立ちどまって待ってくれるあの感じがした。なんだか怖くなって元の道を戻ることにしたが途中で体が勝手に千鳥ヶ淵さんぽみちへ。まだ明るい時間帯なのに木々に囲まれた小道のせいか暗くて静まり返っている。早くここを出ないと真っ暗になってしまうと焦って走りようやく道が開けた。安心してお手洗いへ向かい一歩足を踏み入れると、白い壁にとんでもなく大きな蜘蛛。とっさに頭に浮かんだのは「タランチュラ」の名前。悲鳴をあげて逃げた。後に合流した友だちにそのことを話すも信じてもらえず。
その晩みんなで食べた餃子やなにもかもがとんでもなく美味しかったので、まあいいか。


国技館で相撲を観るのは場所中か大相撲トーナメント・福祉相撲や断髪式くらいだが、木戸銭がお高いのでそうそう何度も行けるものではない。今場所は特別だけれど。
数えるほどのその機会に必ず見かけるあるおじさんは、けんちゃんが扮していそうななんともおもしろい風貌をしていて(いいよな男かデシ男)無料有料問わずどんな相撲イベントでも毎回会う、気になる存在だ。ただし見かけるのは入り待ち・出待ちでのみ。つまり今場所、おじさんはいない。
そういえば雅山が現役のとき「みやっびやっま~」と大声で叫ぶ人がいた。雅山本人にはもちろん、だれかれかまわずに「みやっびやっま~」と言うので豊ノ島など「オレ雅山って言われちゃったよ」と苦笑していた。

2020年7月29日水曜日

今場所最後の相撲見

場所中に三度も国技館へ行ったことは今までなかったが、どうしてもあと一回行きたくて半休をとった。
悩みに悩んで霧馬山と照強の応援タオルを追加。席についてあたりを見まわすと、イス席Aから上はほぼ誰もいなかった。なんてさみしい。って大半のひとは仕事してるのであった。
国技館は何度来ても気持ちが高揚するなぁとうきうきしているうちに気付けば弓取式。またしても時間泥棒にやられた。

照強・玉鷲戦で新品の照強タオルを取り出すと、正面中ほどの升席に玉鷲タオルを掲げている女性を発見。見える範囲では応援タオルを掲げているのは私とその女性のみ。私とその女性の戦いといえなくもない、こともない。でも玉鷲も好きなんだよなぁと頭の片隅で考えたのがいけなかったのか、照強は負けた。
気持ちを入れ替えて霧馬山・竜電戦に向けてやはり新品の霧馬山タオルを取り出す。以前近所の中華屋さんでばったり会ったナマの竜電のかっこよさをふと思い出したのがいけなかったのか、霧馬山は負けた。
少々くたびれた感のある照ノ富士タオルはその威力を発揮してくれたが、五日目に訪れた際には初黒星だった。むかしむかしフンド氏に口をすっぱくして言われたことを思い出した。

時津風部屋の前を通って出勤していたころ、今は勝負審判をしている土佐豊が道端でもくもくと筋トレをしている姿を見てファンになりある日思いきって声をかけたら、その直後の場所で大怪我を負い休場。お前が声をかけたからじゃないのかとフンド氏に言われたがどこ吹く風。若いころにサラブレッドの牧場で働いた経験のあるフンド氏はサラブレッドのカラダを見ることが好きでよく競馬場にも連れられて行ったが、一緒にレースを見ていると必ず馬券が外れた。競馬場だけでなくTV観戦でもそうだったしフンド氏だけでなく父のときも。どうやら自分には勝負事に負けさせるなにかがあることに気付き、それからは関取には声をかけず競馬を観ることもない。

残り五日間はおとなしくしていようと心に決めて跳ね太鼓を聞きながら国技館をあとにすると、目の前に見たことのある人が。たっつけ袴を着ていなくてもマスクをしていてもわかる。呼出の邦夫だ。
呼出さんなら声をかけてもよいのではないかと思ったが、今場所は力士や親方に声をかけたりするのはおやめくださいと言われている。思わず立ち止まってしげしげと見ていると、何かを察したのか伏し目がちに歩を早めた邦夫であった。

2020年7月27日月曜日

結局相撲見

どうしてもまた国技館へ行きたい気持ちを抑えて久しぶりに荒川までちょびジョグ。来月のオーバーナイト60kmランのための練習のLSDを来週に控えており、ラン友たちに迷惑をかけたくないので。
カラダは重いがまずまず走れるな、とゆるゆる走っているとステキなモノをいくつも発見。


全部で20ほど発見したが、どれも好きな雰囲気で感心した。江東区すばらしい。

そういえばなにしに来たんだっけ、と我に返ってしぶしぶ走る。途中の公園で、毎日走ってるの?えらいね、とおじさんに声を掛けられたので、たまにです、と恥じらいながら帰宅。さっそくPC桟敷で相撲観戦を始めてテレビ中継が始まってからはふたつの画面で食い入るように観る。若元春スゴいな、照ノ富士いいぞ、PCだとこれまたいいな、と空腹を抱えて興奮。今夜はワインにタパス的なものをと思いながらも腰を上げることができない。
18時を過ぎて照ノ富士の場所前の動画を見て涙が止まらず、この涙はいったいなんだろうと考えた。
横綱に近いと言われていた大関のころ、ケガの治療やその他の病気が重なり番付は急降下。引退を考えたが親方に治療に専念して治ったら考えろと言われたことは知っていた。そこから着々と番付を上げて今に至るわけだが、そこから先は自分の人生、自分を信じないと勝てないと訥々と語ったその言葉がいちいち刺さったのだ。自分なんて信じたことないなぁ。それにしてもいい親方だし、いい部屋だよなぁ、とまた涙。
昨夜の続きの「ふぞろいの林檎たちⅢ」を見始めてまたまた苦しい気持ちになる。やっぱり中島唱子が苦しい。これからどうなっちゃうの、とハラハラしながら食べたフンド氏のお下がりのホットドッグはとても美味しかったが、もう「ふぞろいの林檎たち」とはここらでお別れしようと決めた。

空振りの一日

海に行ってどうすんだ、と迷いもあったが考えちゃダメだ、早く目覚めたからには海へ行くのだと空腹を抱えて電車にとび乗った。
一番好きな海岸へ到着したもののやることがなく、貝殻を拾ってコーヒー屋でコーヒーを飲んで寒天を食べてすごすご帰宅。
フンド氏にあのお店のホットドッグを買ってきたのはヨシとする。
テレビ桟敷で相撲を観てから手持ちぶさたになって「ふぞろいの林檎たちⅢ」。ずいぶん早い時間に見始めたはずが気づけば午前さま。途中飲み友だちから「おいしい浮世絵展」に行ったとのメッセージが来てへべれけで迷惑メッセージを返したり、今場所のパンフレットを送った両親からの電話にやはりへべれけで阿炎の休場について語ったり、ラン友から来月の大会についてのメッセージが来て緊張が走ったりしたからか。
なんとも苦しい気持ちで心をオニにして途中でPCを落としたが、何がそんなに苦しかったのか。「ふぞろいの林檎たちⅢ」の登場人物か。
時間をかけて海へ行ってきただけの一日。明日こそは走るぞと決心して何度か読んだ田辺聖子を読み返していると、雨音が聞こえてきた。

2020年7月26日日曜日

江戸前のドレスコード

開催の決定前から気になっていた「ドレス・コード?」展へ。
最近ではファッションなんてビタイチ考えていないが、憧れのCOMME des GARCONSの洋服が見られるだけでも行かずにはいられず。着るなんて畏れ多い、見られるだけでよいのです。それでも少しはおしゃれしたほうがよいかなと、とっておきのキジ柄のスカートで乗り込むも己の姿など忘れてじっくり観た。考えさせられる展示だった。
同じ都市で、同じダウンジャケットを着ていたり同じショップの紙袋を持っているさまざまな年代の人たちのスナップが興味深くて、エアコンに凍えながらいつの間にか2時間が過ぎていた。
このまま帰るのはナニだなと、前日飲み友だちに無理矢理勧めたくせに行っていなかった「おいしい浮世絵展」を予約、初台から六本木まで闊歩。勝負スカートをはいてはいたが途中で立ちソバもキメた。空腹でもあったが、こんな展示を観たらおなかが空くだろうと思って。しかしこの気遣いも裏切られ、浮世絵の中のおいしそうなものにまたもやうなぎ欲が首をもたげる。さっき立ちソバもキメたのに今度は盛りそばが、そして刺身が私を誘う。
うなぎとの再会は叶わなかったが、そば焼酎のそば湯割でキメて盛りそばで落ち着いたのはいうまでもない。

2020年7月25日土曜日

大相撲七月場所五日目

どこにも行くことができないこんな連休は遊ぶしかない。金に糸目はつけないぜ。程度によるけれど。
出かけたのはまたまた国技館。初日はかなり興奮してぐったり疲れたが、今回は冷静に観られるかなと開場5分前に到着。洋服は白。以前は忌み嫌っていた応援タオルまで用意した。照ノ富士に連勝してほしかったからだ。
この日の席は天覧相撲の際の天皇陛下の席の隣で最前列、幕下の最初から観ることが出来た。あわただしく番組表を見ては先日のパンフレットをめくる。呼出の邦夫の美声は終盤ホーミーのようだったよ、とその晩久しぶりに隣り合わせた飲み友だちに言ったら、それって褒めてるの?と怪訝な顔をされたがこの日の声は特に素晴らしかった。
あっという間に十両土俵入り。ぼけっと鮮やかな青のまわしの豊昇龍に見入る。
先日、相撲好きな友だちに今場所のパンフレットを送るついでにひと言メモをと思ったら止まらなくなって、終いには付箋だらけに。照ノ富士、霧馬山、豊昇龍でまたモンゴル時代が!などと書きなぐったが実は本音。でも琴勝峰のような底知れない若手もいる。あと若元春と若隆景兄弟に北勝富士も。

今場所二度めの観戦もやはりぐったり疲れて「ニューねこ正」へ駆け込む。
この日が最後のスナップえんどうとこの日だけの最高のつぶ貝で緊張していた体が緩んだ。

2020年7月22日水曜日

どじょうも穴子もいない夜

土用のせいかここ最近どうにもうなぎ熱が高まっており、うなぎの串焼き屋さんへ急ぐ。どれだけ急いだかというと、徒歩帰宅を途中でやめて電車に飛び乗ったほどだ。
「くりから」や「めそ」の名を覚えたのは、むかしむかしフンド氏に連れていってもらった白木のカウンターのあのお店。当時はうなぎにまったく興味がなかったが佇まいは好きだった。
変わらない引き戸に手を掛けると、カウンターはいっぱいなのになぜか静かな雰囲気。メニューの短冊を見ると、うなぎの串焼きがすべて完売していた。
この暑いのに向かいの男性が柳川を食べている。柳川はどじょうだ。うなぎがないならどじょう、長ければなんでもよいという考え、嫌いじゃないぜ。
うなぎがなくて落胆したが、気を取り直して飲ることにした。
隣りの日焼けしたおじさんのところに運ばれてきた串カツもおいしそうだが、こちらのげそバターもなかなかどうして。

向かいの男性が大汗をかきかき柳川を食べているのを見るにつけ、うなぎ欲が首をもたげる。あの人が柳川で手を打ったなら私は「おいてけ堀」の穴子でいくか。どじょうがないなら穴子、長ければなんでもよいのだ。
お勘定を済ませた隣の日焼けしたおじさんがちょっといいですか、と声をひそめて近寄ってきた。さっきそちらに運ばれてきたの、あれはなんですか?と聞かれたのでああ、あれはげそバターです、と答えるとバターのいい香りがふわっと漂ってきたからさ、おいしかった?ああそう、今度食べてみるよと笑って出て行った。でもそちらの串カツもおいしそうで実はずっと見ていたんですよ、とは言わなくてよかった。

河岸をかえて「おいてけ堀」へ。
頼むものは決まっているので短冊も見ずにお願いすると、お兄さんの手が止まった。ごめんなさい、今日は穴子終わっちゃったんですよ、と申し訳なさそうに言われた。

別の日にまた来ればいいじゃないの、そもそも本当はうなぎ目当てだったでしょう、としめさばが慰めてくれた。