2019年5月15日水曜日

なぜか「Change the world」から始まった人間交差点2019

去年のOPは「Careless Whisper」で、なぜなんだと思いながら入場したなぁ。
朝のお台場で流れるあのサックス、深夜のバー感はなんともいえなかったが、今年もクラプトンのギターが聴こえたとたんに笑いがこみあげてきた。
伝説の、といわれている去年のどしゃ降りフェスとはうってかわって、今年はほどよいお天気。朝ビールから始めて、HIPHOP体操第3もキメた。
さらにずっと行きたかった「スナック玉ちゃん」でドバイ割りをキメたり、聖徳太子フリースタイルをナマで見てシビれたり、高校生のときに好きで好きでたまらなかったあの人をナマでライブで見て倒れそうになったりして「合法的に」トんだ夜。
あれは夢?



酒は抜けているのにうっかり電車を降り過ごし、長い時間をかけて帰宅。
神田祭帰りの法被姿のひとたちが、何度信号が変わっても渡らずに笑い合っている。
祭りのあとのさびしさがいやだから、帰りたくないんだよねぇ。


帰り道もずっとiPodを聴いていたので、祭り気分が続いている。
既に深い時間帯。唐突にお弁当のおかずをつくり始める。
早く寝ればいいのに、と内心思いながらも、いつもより細くせん切り。

2019年5月10日金曜日

文太のつぶやき

ひどいめに遭った。
大型連休だとかで帰ってきていたあいつは、ワシの駿足ハード散歩に付き合ってくれるいいやつだと思っていたのだが、とんでもないやつだった。


それは、あたたかい陽射しの降りそそぐ気持ちのよい朝だった。


前日の山登りと深酒にもかかわらず、あいつはワシを散歩に連れ出した。
思慮深いワシは、筋肉痛と二日酔いのあいつをおもんぱかって、とっておきのコースへ案内した。
そこに深くて流れの早い用水路があった。
あさはかなあいつは、そこへワシが飛びこむように仕向けたのだ。


ワシは川に入って水を飲みながら歩くのが好きだ。
ただしそれは浅い川にかぎる。
なぜならワシは、泳げないからだ。


おぼれそうになりながらも、必死に犬かきで応戦するワシを助けもせずに、あいつは、あの馬鹿は、あらぁと阿呆みたいにクチを開けて見ていたのだ。
その目はイエスタデイライスのように濁った目であった。
ほうほうのていで用水路から脱出したずぶぬれのワシは、放心状態でしばらく遠くを見ていた。
それをあの馬鹿は・・・
あのスットコドッコイは・・・



文太くんって泳げないんだねぇ、ショックで茫然としちゃって、などとおもしろおかしく触れ回りおった。
ワシのオトコの沽券が・・・
むろん、あいつは家族や同級生らにひどい!と責められたらしいがあたりまえだ。
あのようなバカたれライスは、ウン10年ぶりに行くと言っていた夏山登山で、けむりきのこでも踏んづければよいのだ。



※けむりきのことは、ほこりたけのこと。
踏んづけると、けむり(ほこり)が出るのです。
こんなおいしそうな姿はしていないし、もちろん食べることはできない。
大きくなる前の柿の実に、かたちが似てるかな。

2019年5月9日木曜日

スパゲッティハンバーグのひみつ

幼なじみが建てた別宅はためいきが出るほどすてきだ。実際に、ためいきが止まらなかった。予定になかった「愛しのあのひと」(とふたりで呼んでいる)こと、お気に入りのお店のうなぎを食べて、さらにすてきなお店をはしご酒。

幼なじみの別宅のあるまちは、思い出のあるまち。
の、はずだったが、あれからもうウン十年。思い出の名残は皆無であった。


「ぺろりレストラン」の看板メニュー、スパゲッティハンバーグが誕生したのも、料理人の思い出から。
もう何度聞いたかしれないけれど、何度聞いてもせつない料理人の初デート。


こぢんまりしたそのレストランは、料理人が必死で調べたお店。
そのお店でふたりが選んだのは、スパゲッティミートソース。とてもおいしいと彼は思ったのだけれど、彼女は半分残していた。
気に入ってもらえなかったのかな、と彼はがっかりして、それはにがい思い出になったが、そこから長い月日を経てスパゲッティハンバーグと「ぺろりレストラン」が生まれたのだ。

彼女もきっとおいしいと思ったに違いないですよ、初デートで胸がいっぱいで食べられなかっただけだと思うんです、と料理人に言いたいけれど、まだ言っていない。

2019年5月7日火曜日

目覚めても今日

連休明け、まだ暗いうちに目が醒めた。
ずいぶん早起きしたみたいだけれど、5時前くらいかな、と時計を見ると、なんとまだ24時前であった。

いったい何時に寝たのか自分。
もうそんな年ごろになってしまったのか自分。

しばらく眠れそうにないので、上着をひっかけて出かけることにする。
連休最終日は駅伝大会で、そうだ、その後に青空宴会で、モノも言えないほど飲んだのだった。約10日ぶりの真夜中の両国はなんだか新鮮であった。

眠れない夜はないけれど、二度寝できない夜ってのもあるんだな、と感心しつつ、ぶらぶら歩く。



1年ぶりに上京してきた友を囲んでの肉パーティから始まって、駅伝大会で終わった連休。毎日いろいろありすぎて、まさにリア充であった。

まったくクチをきかなかった同級生とは2度朝ランをし、同じくまったくクチをきかなかった別の同級生とともに山を登って走って下りて温泉につかって蕎麦をたぐったり。
さらにその晩は、保育園から中学校まで一緒だった同級生たちとも再会。
はたまた、高校生のときに隣のクラスだった、やはりクチをきいたことのなかった彼が選挙に出馬していたことも、なぜか隣で飲んでいたことも、とにかくシュールでしかなかった。

早く帰って寝なくては、と真夜中なのに素面で、実にへんてこな時間であった。

2019年4月25日木曜日

6月以降の自分のために

今年の手帳は気に入ったものが見つからず、衝動買いしたノートに枠を描いて使用していたが、後先考えずに描いていたら、6月まで描いたところでページは終わってしまった。

困った。
6月以降の予定がぼちぼち入っているというのに、このままでは失念してしまう。
半年分の手帳なんて売っていないし、どうしたものか、と悩んでいたが、ちょうどよいものが現れた。
それがこの手帳。
A5サイズで持ち歩くにもちょうどよいし、なんたって名前入りなのだ。
あれ?ごろ寝しているこのマッチ、どこかで見たような・・・
「ねまちのおべんとうノート」と酷似しているではないか。


そう、ないならつくってしまえ、と思いつきで、余ったキレなどでつくったのだ。今度は枠も手描きではないので、にじむこともない。
やはり後先考えずにつくったので、あちこちがナニだけれど、いいのいいの。人に見せるものじゃなし。
これで6月以降の私も安泰というものよ。


次は、おいしかったお酒や納豆のラベルをスクラップするノートをつくらなければ。

2019年4月23日火曜日

春のおべんとう

春のおべんとうは、外で食べるのがよい。
もっというと、水が見える場所なら言うことはない。川とか海、湖、池とかね。
川を眺めて春のおべんとうを食べていたら、思い出した。

むかしむかし、森の中の大きな池のほとりでおべんとうを食べていたときのこと。
その池は木々の緑と水の青が混ざった、なんとも深い紺色でとろりと静かだった。
吸いこまれるようなその水面をみつめながら口を動かしていると、池にかすかな波紋が広がった。
見たこともない大きなかえるが泳いでいた。
少し離れた水面がすうっと動いた。大きな魚の姿が現れた。
透きとおった池を両者が並んで泳いでいたさまと、食べていたおべんとうのことは、忘れるはずがない。


離れた場所にあるギャラリーを教えてもらって行く気になったのは、以前住んでいたまちに近い場所だったから。
電車を乗り継いで、わざとひとつ手前の駅で降りて歩く。

20年ほど前に住んでいたその家は、当時から古かった。
もう取り壊されているだろう、と寂しい気持ちで見に行くと、なんとまだ健在であった。
またここに住むのもいいな、とちらりと考えるも、既にどなたかが住んでおられるようだった。
教えてもらったギャラリーは、以前よく行っていたアンティーク屋さんだった。
珍しくぶらぶらしたくなり、本屋さんをはしごしたり通りかかったギャラリーに立ち寄ったりして、なんとなく気になった喫茶店に入った。
お店のドアを開けたら好きな曲がかかっていた。
店主は声のよく通るおじいさんで、ていねいに淹れてくれたコーヒーはとてもおいしくていい気分でお店を見まわすと、メニューも実に好ましかった。

最近あてもなくぶらぶらするなんてこと、なくなったよねぇと友だちと話していた舌の根も乾かぬうちになつかしいまちをぶらぶらしたその晩は、やっぱりいつものお店で一杯。
その席に座っていてくれると安心しますよ、と店主に言われて、調子に乗って根が生えるほど飲んでしまった。途中、おさわりOKのかわいこちゃん(ねこ)を思うぞんぶん撫でくりまわして、ねこの充電も完了。
帰り道、おさわりOKのかわいこちゃんをいじめるけしからんねこ(店主談)と遭遇したので、あんた、いじめはやめときなさいよ、と僭越ながら進言。けしからんねこは、なんだこのよっぱらい、と怪訝な顔でこちらを見て去って行った。
この日の戦利品のひとつ、すてきな包み紙のお店のドレッシングの封を切って明日のおべんとうのおかずを、もくもくとつくる。
休日以外もどこか水の見える場所でおべんとうを広げようかな、と、もくもくとつくる。

2019年4月18日木曜日

そば屋へ行くつもりじゃなかった

例によって深酒した翌朝、目覚めるととてもよい気分であった。
この時間なら軽く朝ジョグをキメられる。

しかし布団の中であれこれ考えているうちに、考えが変わった。
そうだ、あのおそば屋さんへ行こう。

今朝はいつもの「おはよう!商店」をやめて
朝ソバとしゃれこむのだ。


いそいそと「土俵そば」への道を急ぐ。
「土俵そば」は早朝からお店を開けており、フライト前の「はとエアライン」の機長や夜間飛行を終えた「こうもりエアライン」の機長、「はっしゃオーライ!」のタクシードライバーなどで、うす暗いうちからにぎわっている。
ハナニラやパンジー、エニシダでにぎやかな店先で店主にあいさつして、のれんをくぐる。
おそばを注文して、なぜ今朝はここにしようと思ったのかと考える。
久しぶりに行く大相撲五月場所が愉しみだからか。
先日、ジムで臥牙丸関のトレーニング姿に目を奪われたからか。
パンパンにつまったおいなりさんをながめながらおそばを食す。
おいなりさんの隣のおにぎりもはちきれんばかりに丸々としており、やはり臥牙丸関は大きかったな、と改めて思う。

いつもと少し違う道を歩く。
築100年をとうに超えた、以前からちょっと好きな建物は健在であったが、それにしてもあちこち変わったなぁときょろきょろして歩く。
通勤途中であることをうっかり忘れた、ある朝のはなし。