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2022年10月21日金曜日

両国図書館の手ぬぐい

本当は先週金曜日までに完成するはずだった「両国図書館」の手ぬぐいが完成。
本を読みながらお酒を飲める場所はどこにでもあるけれど、好きな本の好きな箇所をふと思い出したとき、しかもその本が手元にないとき
「両国図書館」に来たら必ず見つかるんです。
繰り返し同じ本を読むのが好きなあなたにどうぞ。
かあさんは、トイレと布団にぼろぼろの本を常に置いています。

2022年9月2日金曜日

鬼が餅(あも)つく

もう何回読んだか覚えていないほど読んでいる田辺聖子の短編「鬼が餅(あも)つく」。

結局男が自分のことばかり話してるじゃんと鼻で笑ったがその男の気持ちはよくわかる。それはノスタルジーでもなく記憶を掘り起こすための会話でもなく、とりとめのない、でも大事な話。誰かとそんな話をしながらのんびり飲めたらと思っていたら、酔いがまわった頃に現れた顔見知りのおじさんとそんな話ができた。
それはトンカツ。それとオムライス。
どこそこのあれが美味しいなどとグルメな話ではなく、自分の好きな食べ方と作り方について思い付くままに話し合った。

別の日、年に一度ほど会う友だちと何年ぶりかの皇居ラン。3人のうち私ともう1人がMINATOシティハーフに抽選で当たったためもう1人を付き合わせての練習会。
夜の皇居はしっとりしていて気持ちがよいのだけれど、どうも疲れるイメージしかなくて気が進まず、3人とも嫌々ながら走り出したがぺちゃくちゃ喋っていたらあっという間に一周。
あまり酒は飲まない友だちとご飯を食べながらまたぺちゃくちゃ。酒は飲まずとも話は弾んで、気持ちも身体もすっきり。
とりとめのない話ができる友だちがいてよかった。
ばかあさんは、いつもとりとめがないでしょう?

2022年6月23日木曜日

機嫌のいい人

いつもの公園で、美味しそうにお弁当を食べる男性が向かいのベンチにいた。
彼はゆっくりお弁当を楽しんだ後、今度はいかにもおもしろそうに本を読み始めた。

何を読んでいるんだろうと気になるほど貪るようにページをめくる。気付けば、短いお昼休みを満喫して彼はいなくなっていた。
さて私も戻らなきゃと立ち上がると、ひとつだけ誰も座っていないベンチがあった。ちょうどそのベンチにかぶさるように繁っている大きな木に赤い実がたくさんついており、その実がベンチいっぱいに落ちていたのだ。これはなんの実だろうとしばらく見ていると3人の若い男女がやってきて落ちている実を指差してああだこうだと喋っている。中国語のようだったが、こうして3人の若者が休憩時間に木の実について話している姿はよいものだった。それにしても名前が知りたくて調べたところ、ヤマモモであることがわかった。

田辺聖子の小説に、機嫌のいい男が出てくる話があった。なるほど、機嫌がいい人って幸せそうでいいものだなと思って、毎朝フンド氏とぼっちゃんに、ねまちが今日も機嫌よく過ごせますようにとお願いすることにしている。
今夜も機嫌よく眠れますように。

2021年6月4日金曜日

お疲れさま

ラン仲間の実家で合宿という名の食いだおれ旅。
主催者が晴れ男であるおかげで道中からくっきり富士山が出迎えてくれて、磯の匂いを吸い込んで海を眺めながら約20kmのLSDをキメた。
この旅のメインである夕食はものすごい迫力で、お刺身もアワビも伊勢海老も素晴らしかったが小鉢もすべて手が込んでいて、かぼちゃのポタージュやタコのぬたがおいしかった。
翌朝はまだ暗いうちから起きて軽くトレイルラン。まだ身体が起きておらずおなかの急降下が不安だったが、朝焼けの海岸やジャスミンの香る山の中を走るのは気持ちがよかった。海に浮かぶ岩場の洞窟やトンネルなどにときめいていたらこんなふたりに遭遇。
地元では有名人らしい。

ここ最近、夜ベランダで一服していると向かいのマンションのどこかから缶ビールを開ける音が聞こえてくる。
どこの誰だかしらないけれどお疲れさま、と乾杯する気分で飲む酒は実はもう3杯め。

2021年3月23日火曜日

春のおすそわけ

先日連れていってもらった海の帰り道で出逢った湘南ゴールドは、かぼすくらいの大きさで固い皮をむいて食べるさわやかでおいしい柑橘。
ニューサマーオレンジといい、あの辺りでしか見かけない柑橘類が好きでよくおみやげに買って帰るが、帰宅したとたんに食べる気が失せるのでふと思いついた人におすそわけ。

今回は「両国図書館」の店主へ初めておすそわけした。
それほど親しい仲ではなくこちらが一方的に親しみを感じているだけなのだが、どうしてもあげたかったのだから仕方ない。たしかここの店主も海の育ちだと聞いている。

後日いつもの席でいつもの酒をしみじみ飲んでいたら、美味しかったです、初めて食べましたよ、と店主がやってきた。おすそわけのことはすっかり忘れていて、お礼を言われて急に恥ずかしくなり、ええ、とかうう、とかしどろもどろで答えた。

2020年7月8日水曜日

よふかしのうた

姪たちと約100個のぎょうざをつくって食べた週末が明けて、いよいよダイエットに本腰をいれますか、と決心した徒歩帰宅の途中、飲みに誘われあっさり翻意。ダイエット中だというのに磯辺焼きをふたつも食べてしまった。

帰宅すると、映画を観るには遅いが寝るには早い時間。ならば見逃したドラマでもとPC前にスタンバイして、ひさしぶりに顔ブローチの続きに手をつけた。気付けば酒も飲まずに午前様。よい気分で床につくも、読みかけの本がおもしろくて時間をぬすまれた。めったにない愉しいよふかし。
ダイエットは今日からだ、と朝からはりきってお弁当をつくり、いつものことながら労働中の意識は不明だが退勤後は大股で徒歩帰宅。毎朝通る「真夜中のスバゲッティ」の店の前でしばしテイクアウトのタパスをにらみつける。入ったこともないお店なのに「真夜中のスパゲッティ」の名前だけでファンになってしまった。「真夜中」という言葉になんともひそやかな空気を感じる。
この晩は、先日視聴したRHYMESTERの飲み―ティングを最初から見ようと決めていた。いそいそと酒の肴を用意してスタンバイ。ダイエットは意識している。
飲み―ティングは硬軟のバランスがとてもよくて本当におもしろかった。つくりかけの顔ブローチが目に入ったのでちょっとだけよ、と手をつける。配信は終わり酒も尽きたが顔ブローチは止まらず、ふと気づけばまた午前様。さらに昨夜読了を我慢した本の誘惑に負けてまたよふかし。
ところで
意識は高まっているが、ダイエットはいつから始まるのだろうか。

2020年4月23日木曜日

なににも追われていない毎日

労働には行っているが気持ちはいつも休日。
平日は新しい道を探して歩き、本物の休日も新しい道を探して歩いたり走ったり。
いつものブルドッグ親子がいつもより距離をとって並んでいるのを発見。
この親子はいつもおしゃれで大事にされている。
この海(正確には中川)の向こうにはついこの間まで気が向くと出かけていた房総半島があるのだなぁと土手に座って眺める。

またある日は靖国通りをひたすらまっすぐ進んで以前よく行っていた新宿のライブハウスあたりをしみじみながめて戻った。
人気のない靖国神社でマスクを外すと、木のいい匂い。ごぶさたの神保町古書店街は何店舗か営業していて思わず立ち止まって物色を始めそうになったが、まだ家には読みかけの本が何冊もあるのだった。
酒に疲れてきた今日この頃、たまには腰を据えて本を読もうと帰り道を急ぐ。

2020年4月16日木曜日

今宵またなにかに夢中になれば

この日は特に行きたい場所が思い浮かばず、百花園まで走ろうと家を出た。

早くも飽きてきたこの道、せめてもと一本ちがう路地を行くも気付けば歩いていた。以前はもっとつまらない河川敷などを毎週のように走っていたが、走ることのどこがそんなに楽しかったのか、熱しにくく醒めてしまった今となっては当時の自分が他人のよう。
たどりついた百花園は休園中。こうなったら意地でも庭園に行きたくなり、先日偶然知った野草園を目指して走りだした、いや歩きだした。
たどりついた野草園は休園日。しかし転んでもタダでは起きたくない。帰り道は料亭が立ち並ぶあたりや老舗の和菓子屋の精巧につくられたお菓子の牡丹などをほうほうと眺めて歩いた。勇ましくランナーの格好こそしているが、ただの散歩者であった。
今宵はなにを肴にしようかと冷蔵庫に頭を突っ込んでしばし思案。
ハンバーグが食べたくなって材料は用意したが急にやる気が失せた。あれほどていねいにつくった餃子も食べるのは今ではない気がして冷凍中。
こんなときは冷蔵庫の掃除に限る!とあれこれ取り出すうちに、今は休業しているいくつもの大好きな酒場のメニューが食べたくなって真似してみたら思いのほかおいしくできて創作意欲が増す。
おまけに読み始めた本の作者がなかなか好感の持てるおじさんでこちらも酒の肴にぴったり。
この晩もワインは一本空けてしまった。

2019年9月18日水曜日

アンジーが歌ったのは、銀の腕時計

かっぱ:なんだ、この派手なやつは

かえる:あのひとが持ち帰ってきたんだよ

朝青龍:趣味じゃないでしょ、これ

目覚まし:(無言)
かっぱ:で、持ち主は?

かえる:この派手なやつに電池入れてすぐ寝たよ

朝青龍:使うつもりかよ、これ

目覚まし:(無言)



草木もねむる丑三つ時を少し過ぎたころ、妙にいい声の男が歌い始めた。
飛び起きて歌声の主を探すと、派手に光る見覚えのない目覚まし時計。心臓の音が耳のすぐ近くで聞こえる。
なんだこれ、としばし考えて思い出した。

モンブランマラソンを完走した仲間の凱旋祝いにギョーハイ(餃子とハイボールの会)を催して、おなかいっぱい餃子を食べてハイボールを飲んだのちに、幹事が目覚まし時計をもらったとかで、じゃんけんで勝ってもらったのであった。(正確には、じゃんけんに負けたのに奪い取ってきたのであった)



昔からアクセサリーはシルバー一択で、光りものは好きではないが、一時期ゴールドを好んだこともあった。金の腕時計でとても気に入ったものがあったから。
以前船旅に出かけたときの、ヴィンテージ感あふれる船内の階段も金色が決め手だった。
割れた器を継ぐ金継ぎも、同様の雰囲気を醸し出している気がする。
二段ベッドがせまいのはいいとしても、寸詰まりなのが辛かった。
窓から見えるのは海だけ。船酔いはしないので思う存分波を眺めていたっけ。


というのはウソで、海の近くの博物館に行くつもりが間違えて隣りの船内に入ってしまい、あちこち覗いているうちにすっかり船旅気分に浸ってしまったのだ。
おかげで海の近くの博物館をぐっと愉しく観ることができた。
ただし博物館に着く前まで読んでいた本が夜の話だったので、海がまぶしすぎてしばらく目を開けることができなかった。

2019年7月22日月曜日

東京でいちばんおいしいハイボール

いろいろの用足しの合間に、ぽっかり空いた時間とお腹。
さてどうしたものか、と思案をめぐらしているうちに、あのお店が浮かんだ。
そうだ、あのお店の東京一おいしいハイボールで時間をすごそう。
世の中はランチタイム。しかしそのお店はそんな時間からひっそり開店し、夜は意外に早く店じまいをするのだ。
今日ならあのカウンターに並ぶおもしろそうな本をめくりながら、いや背表紙をながめるだけでもおもしろそうだけれど、小さな紙に書かれたおつまみのメニューをじっくり研究することもできそうだ。

変わったつくりのビルの変わった形のエレベーターに乗り込んで目当てのフロアに下り立つと、果たしてそこには、あの扉が待ち受けていた。

時計を見たら開店時間ぴったりで、当然口開けの客であった。
ハイボールをください、と言い、さっそくカウンターに並ぶ本の背表紙を見る。どれもじっくり読みたい本ばかりだ。はやる胸を抑えて、小さな紙に書かれたメニューを見る。どれも味わってみたいおつまみばかりだ。
目を本とメニューにやったまま、東京一のハイボールをすする。
どうしてこんなにおいしいハイボールをつくることができるのか、以前その秘密を訊ねたことがある。特別なウイスキーを使用しているわけではないとのことで、ますます謎は深まった。
「Bar GABGAB」の水割りがおいしいのは、白ママの自宅近くの神社の手水を使用しているからではないか、という話はこの界隈では有名な話。


そういえば朝からなにも食べていなかった。
穴が開くほどメニューを見て気になった「緑のきつね」なるおつまみを頼んで、カウンターに置いてある瓶の中の落花生をつまみながら、気になった本をそっと開く。
こんなおもしろい本を無造作に置いているなんて、私のような客がヘンな気を起こしたらどうするのだ、と喜び怒っているうちに「緑のきつね」の皿が目の前に置かれた。
緑のきつねって、そうか、こういうことか、とにやにやしながら口に運ぶ。

おいしい。
たれている目がさらにたれるほどおいしい。見た目も実においしい。
写真は撮らない。撮ったとしても誰にも見せたくない。
ああ、今すぐ誰かに伝えたいこの気持ち。
あの友だちとあの友だちとフンド氏に自慢したのちに、一緒にここへ来てまた食べたいくらいおいしい。大騒ぎしたい気持ちをぐっとこらえて、2杯めのハイボールに口をつける。おいしい。2杯めも、やっぱりおいしい。

こんな時間を過ごしたのは久しぶりだなぁ、と千鳥足で店を出る。
外は当然明るくて、世の中はまだランチタイムであった。

2019年6月17日月曜日

おまえのような花 くちなし

尊敬する友と、二度めの角乗り練習に向かった。
雨上がりの青空のもと、今日は取材抜きの純粋な練習。
先日はようやく角材に立つところまでいったが、それ以上は進める状態ではなかった。

尊敬する友は、こういうの苦手なんだと言いながらも、初めてとは思えない速さで次々にクリアしてゆく。賢い人はコツをつかむのが早い。

陽射しが強く暑くてたまらなかったので、わざと角乗池に落ちちゃおうか、という考えが頭をよぎった。角乗保存会のみなさんの半分以上は、気持ちよさそうにドボンしていた。

一個送りという、角材を足で一回転させて立つというのを、この日はクリアすることができた。このままいけば、次回は三回転くらい連続でできるかも、と思ったがそうはイカのなんとやら。しばらくはマラソン大会などで参加できない。

昼酒についての考え方が一致している友とアルコール抜きのランチを終えて
次はプールへ。
時間がなくて、30分間取りつかれたかわうそのように泳ぎまくった。

帰り道、たまに会うかわいこちゃんに声をかけられる。
少し開いた家の玄関の戸から、つながれたかわいこちゃんが出てきて日陰で寝ていたのだ。顔見知り程度の仲だが、おさわりはOK。

ねこを充電したせいか、この晩も飲みに行く気になれず。
おもしろそうな本を見つけたので、本を読んで過ごすことにした夜。

本屋さんに教えてもらって急速に好きになった作家・田辺聖子さんが亡くなったのは数日前。好きなひとは生きていてくれるだけでいいのにな、と喪失感にうちひしがれた。


早く寝た翌朝、待ちかねていたくちなしの花が咲いた。
毎朝毎晩、ストーカーのように見張っていたのに、死角に1輪開いていた。

2019年4月1日月曜日

活字中毒ではなく依存症

田辺聖子依存症になり、貪るように読んでいた時期があった。
多作な著者なのでしばらく困ることはなかったが、ついにディグの壁にぶちあたった。
女流作家が苦手だったので新規開拓が難しく、信頼する本屋さんに愚痴をこぼすと、こんなのどうでしょう、と次にお邪魔したときに用意してくれていた。
長時間の移動中、座席が狭いのも忘れるほど一気に読んだ。
用意していたワインは封も切らず、読み終わってからも同じところを繰り返し読んだ。

出てくる女たちがみんな好きなタイプだし、なにより溜飲が下がりまくった。私の悩みごとなんてこれっぽっちも話していないのに、なぜこんなにぴったりくる本を用意してくれたのだろう!

さらに、最近入手したブルーレイやCDなどが、ことごとく大当たり。
眠たいのに、いつまでも見入り聴き入る毎日。

これからは、おいしいものしか食べないしおいしい酒しか飲まないぞ、と決意した。(そんなことはどこにも書いていないし唄ってもいないが)
がまんしていた「ぺろりレストラン」のスパゲッティハンバーグだって、いずれ食べちゃうんだから。

2019年3月7日木曜日

おんな稼業を張るということ

そろそろ「サロン・ド・こけし」へ行かねばならない。
女主人に話したいこともあるからね。
しかし最近のこのていたらくでは、叱られるだろう。
こんなまつげではドレスコードにひっかかるし、髪はくるくるうねっている。



「MOD BAR BERこけし」にも行かねばならない。
店主に相談したいこともあるからね。
しかし最近のこのMODとはかけ離れたスタイルでは、叱られるだろう。
ぶくぶく肥えてきたし、ファッションも適当。

叱られない生活とスタイルを確立したいものだ。




先日ひといきに読了した本の主人公るみ子は、魅力的な女性だった。
最初はたよりない子だったのに、内面がだんだんたくましくなってゆくさま。
るみ子のセンスもとても好きだし、いい女発見!と思わせるこの作家の腕にうなった。


るみ子のように、せめて手の込んだ料理でもつくろうか。
なんて言った舌の根も乾かぬうちに「レストラン両国駅」にふらっと寄ってしまうのが関の山。
正統派のお料理は最強だもの。

2019年3月1日金曜日

ソロ活動、開始

なんだかんだと忙しかった日々から解放されて、マンネリな日常に戻った。
つまり約束のない夜。
酒場には目もくれず、いそいそと帰宅して、スマホの音を切って本を読む。
その本がまたおもしろかったものだから、止まらない。
風呂場にまで持ち込んで、上下巻、嗚咽しながら読了。
(泣くような類の内容ではないのだが)
こういうの、溜飲が下がるとか、カタルシスとかいうんだっけ。

いきおいづいて、次の本を手に取る。
こういうときは、思い切り不吉な本がよいだろう。
次なる世界との出逢いに目がギンギン。
あまりにも幸せなこんな時間を、なによりも求めていた。


別の日。
今年初めてのライブに登場。
久しぶりにあっという間の3時間だった。
新しい曲は背筋になにかが走るほど最高だったし、一見関係のなさそうなあのミュージシャンとこのミュージシャンがつながっていて、あんな曲がこのような場所で聴けたり、実は初めて聴いた初期の曲、とてもよかったなあ。



旅先にて。
どうにも体調がすぐれず、薬を求めてさまよった商店街で見つけた、漢方薬局の悲しい親子。
今年の干支なのに、不憫でならない。
でも親切なボスでよかったね、と心の中で声をかけて別れた。

2019年1月18日金曜日

マンネリ上等

好きな本は、病的にくりかえし読む。
「両国図書館」でも、同じ本ばかり読むことがある。
短編でも流れのある本は、辛抱強く最初から読む。
あらすじを知っているにもかかわらず、読み終えたあとにほっとするのは、変わらない。



さみしい、と思う夜はまったくないけれど、夜になるとつい足が向いてしまうのが「ニューねこ正」
かれこれ、もう20年近く通っているだろうか。
お勘定をすませたお客さんの「ごちそうさま、うまかったよ」のひとことを背中で聞くのが、自分のことのようにうれしいのは、変わらない。



「レストラン両国駅」のメニューは、たったふたつ。
うす焼きたまごでケチャップライスを巻いたオムライスに、身の大きいえびフライ。
姿の見えないマスターの、うんちくを語らない姿勢が好もしいし、変わらないこのふたつのメニューでずっと勝負している、その心意気やよし。



「ぺろりレストラン」のメニューも、たったふたつ。
クリスマスには、ピザなんかも出ますけどね。
料理人の初デートのせつない思い出から生まれたスパゲッティハンバーグと、料理人も記憶がさだかでないほど昔からある焼きそばサラダは、季節ごとの付けあわせのフルーツ以外、ずっと変わらない。



この世に生まれて、たった5日しかたっていない赤ちゃんに逢いに行った。
赤ちゃんは、ねこの兄さんと人間の姉さんに囲まれて、小さな口であくびをしていた。
人間の姉さんたちには覚悟のようなものが生まれており、小さななりをしていても自覚が芽生えているように見えた。
赤ちゃんの父親も母親も、赤ちゃんも姉さんたちも、そうか、これからのひとたちなんだな、と既に余生をおくっている私は、今さらながら思った。