2019年7月1日月曜日

君がいなければ

わけあって、ひとり実家へ帰る。

実家へ帰っても人間はいない。
文太だけがいたのさ。


思いつきで、高速バスを5つ以上手前の停留所で降りて、ローカル線にして唯一の路線であるJR飯田線に乗る。
母校の生徒が何人かいた。変わっていない、いなたい制服。空(くう)を見つめるまじめそうな女子は、こちらが無遠慮に見ていても気付かない。


実家に着いて文太と軽い散歩に出る。少し前にも歩いたこの道は、時間のあるときに探索したい橋やトンネルがある。
空がうすく紺色をまとい始めた。

今夜は広い実家にひとり。
長い夜になるぜ、と冷蔵庫を開けるも、めぼしい食べものがない。がっくりとうなだれて、あるものをつまみにヘルシーすぎる晩酌タイム。早くも両国が恋しくなり、読みかけの本を読んでいるうちに気を失った。


翌日は、予報が外れてお散歩日和。
毎年欠かさず行っている5月のお祭り以外には行くこともなくなった馬見塚公園へ。
文太にとっては初めての場所だからか、あちこちをくまなくチェックして歩く。
途中、もさもさした柴犬と一触即発になったり、知らない道を発見して行きたくなったりもしたが、朝の散歩としてはこんなもんでしょう、というところで切り上げる。
朝昼兼用に、畑にあった特大ズッキーニでラタトゥイユのようなトマトソースのパスタをつくり、忘れちゃなんねぇゆで玉子とともにゆっくり食べていたら、近所にあるスピーカーから広報が流れてきた。

○○グラウンドに クマが 出没したと 通報が ありました

この季節には珍しく、今年はよくクマが人里に下りてくるらしい。
文太はこのニュースの内容も知らずに、広報に合わせて歌っていた。

うっかり昼寝してしているうちに雨が降り出したので、傘をさして食料調達に出かける。
途中、若いヘビに出くわしたり、若葉色としかいいようのない色のケムに遭遇したり、そして帰り道でさっきのヘビが私の大声に驚いてすごい勢いで逃げていくのを見たりして、ぐったり疲れて帰宅。
買ったのは、大豆としいたけと高野豆腐の粉。なんだこのチョイス。今宵の晩酌も期待できない。こうなったら田舎の酒場で初ソロ活動としゃれこむか、と覚悟を決めると、お隣さんからおすそ分け。おかげで、わざわざ電車に乗って飲みに行かずにすんだ。


そのまた翌日は、ものすごい暴風雨。
台所の目の前の山桜やグミ、なつめの枝が折れて飛んできそうな勢いで、文太との〆の散歩はできず。うらめしい目で私を見るが私だってつらいのよ。
お隣さんが見送りにきてくれたときと、友が迎えに来てくれたときにのみ、わざわざ雨の中でしょんぼりと立ちつくす名優・文太。じゃあね、元気でいるんだよ、との私の声に目をそらすのはいつも通り。

友と珍道中ドライブを愉しんでいて出くわしたたぬきを見て、急いでいるわりに足が遅いね、と友に言うと、たぬきってわりとどんくさいんだよ、と言われて、たぬき=どんくさいという図式が頭に刻まれた。あと城下町の裏道には気をつけろ、ということ。
さんざん喋ったのに見送ってもらったあとにまだ話し忘れたことを思い出したりして、うれしいおみやげもどっさりもらって帰路につく。
帰宅早々、遠方の友だちから、白アリ(と思われるもの)が出てパニックで、との電話。
頼りにしていたお向かいの師匠は先日亡くなったし家族は不在だし建築士のいとこには電話がつながらないし、で、浮かんだのがあなたの顔ってわけよ、と言う。白アリについてなんの知識も経験もない私になぜ、と問うと、前にも大変だったとき、話聞いてくれてなんか盛り上げてくれたからさ、と言う。大変な状況のひとを盛り上げただなんて人聞きの悪い。でも、その晩も盛り上がってしまった。

2019年6月27日木曜日

ハチとケムと天国

10年ほど前から、毎年そこへ来るという一匹のハチに会った。
(※これは数年前にボツになったハチ王子)

種類・大きさも同じハチが、毎年やってきては細長い花壇を飛びまわるのだが、かなり近くに来ても威嚇もしないという。この日は紫式部の花にいた。
(※これもボツになったハチ王子)

もちろん同じハチのわけはないけどね、なんだかかわいいのよ、と花壇の手入れをしているひとは目を細めた。
さらにこの花壇のきんかんには毎年数匹のケムが住みつき、さなぎから蝶になって飛び立つという。最後の「シ」まで言いたくないくらいケムは嫌いだが、爪の先ほどの小さなころから目をかけていると、かわいく思えるものなのかしらん。
どちらにしても、毎日花壇の手入れをていねいにしているからこそ、わかることなのだと思う。

我が家のくちなしとジャスミンは、毎朝毎晩の私からのストーカー行為に疲弊したのか、ゆっくり咲きなさいよ、とあれだけ言ったのに、次々に花を咲かせては枯れていく。
寝る前に少し窓を開けると、濃い香りが流れてきて実にいい気分だ。



近日中に、幼なじみにまた「天国」へ連れていってもらうことになった。
通称「天国」(仲間内ではこれで通じる)はお湯だけでなく食事もとにかくすばらしいのだが、なんといってもすばらしいのは、ここを切り盛りするふたりの女性とイケメンホストすーちゃん(犬)。

元祖「天国」を気に入って遠方から通い詰めていた仲良しいとこが、高齢のため「天国」を閉業する先代に、あんたたちでやんなさい、と言われて引き継いだのが現「天国」なのだそう。

とにかく仲のよい三人は、誰ひとり欠けても大変だ。

先日連れていってもらったときも、変わらず温泉はどこよりもすばらしいお湯だったし、お料理は唸るほどおいしかったし、ホストは接客を健気にこなしていた。ご近所さんから山男まで、みんなでわいわい話して楽しかった。

けれど、ひとり足りなかった。

ここにいるみんながその話題を避けていることで、却って彼女の不在が大きくなる。
幼なじみが、お料理をつくる女性となにごとか話して涙ぐんでいたことも、気付かないふりをした。

深い山の中での女ひとりの営業はやはり限界なので、相方が復帰するまで、いったんここを畳むとのこと。

「天国」を好きな人たちが心の拠りどころを少しの間なくすのはさみしいことだけれど、大丈夫。会いたいとさえ思えばいつでもどこでも会える、と「ブエノスアイレス」のラストでファイも言っていた。

あなたたち次から次へとホントによく喋るね、可笑しくて笑い疲れた!といつも呆れられていた幼なじみと私。病み上がりでも容赦しませんよ。

2019年6月26日水曜日

枝豆のおまんじゅうと紳士考

今夜こそはジムに行くのだ。
そう思ってお財布の中身も寂しくしておいた。

なのに、右手は「ニューねこ正」の引き戸にかかっていた。
習慣ってこわい。

「枝豆のおまんじゅう ごまソースがけ」と書かれた短冊が目に留まった。
これはいくしかないな、と短冊を睨んでいると、板前さんが待ってましたとばかりに声をかけてきた。よかったですね、照強、ぎりぎり幕内に残れたでしょう、と言われて、7月が近づいていることに気付いた。
隣の男性のところに、くだんの枝豆のおまんじゅうがやってきた。美味しそうだ。
なんにします?と大将に聞かれ、隣の皿を横目で見ながら、枝豆のおまんじゅうをください、と言った。
やっぱりこれ気になりますよね、と隣の男性はゆっくりおまんじゅうを口に運んだ。おもしろい味がしますよ、とうれしそうだ。

枝豆の話から、週末のキャンプで入手したおいしいとうもろこしの話へ。隣の男性は農業関連の仕事をしているとのことで、野菜のおもしろい話をしてくれた。
板さんは合間に、先日このお店へ来たという北勝富士関とのツーショット写真を見せてくれたり、照強関のちょっといい話を聞かせてくれたり。
枝豆のおまんじゅうは思いのほかボリュームがあったけれど、飽きない味で美味しかった。


ずっとフンド氏と来ていたこのお店にひとりで入るのも、知らないひとと愉しく話している姿も、数年前には想像もつかなかった。年をとると男性はおばさんに、女性はおじさんになるというからなぁ。こうなったら紳士をめざしたい。

思うに紳士とは

相手を思いやり、自分の趣味を愉しみ、決してクソおもしろくないワルクチなどは言わなくて、話がおもしろくて、友だちに愛されていて、行きつけの酒場が数軒あって、それから、それから・・・

悲しいときに何も言わず抱きしめてくれた「ニューねこ正」の美人女将のような人。
美人で男前なんです。

2019年6月24日月曜日

キャンプだホイホイホイ

キャンプというものをしたことがなかった。
飯盒炊さんなら経験はあったが、集団行動が苦手なインドア派。
思春期のころからそういうときに積極的に手を出す・働くのが照れくさく、一周まわってなにもしないというのが身について、キャンプなんてリア充のするこった、と遠ざかっていた。

しかし

キャンプとキャンプ料理のプロ(ディレクター=D)におんぶ&だっこのキャンプ in 河口湖は、最高だった。


週末は雨予報だったにも関わらず、まったく降られなくて(仲間に聞いたら、どうやら私以外は晴れ男女)山々や船を眺めながら、ぺちゃくちゃ喋りながら、きょろきょろしながらのランは心から気持ちよかった。
テーマが「ゆるラン」だったのでさほど走っていないが、ランのあとの温泉も気持ちよかった。

Dが数日前から仕込んでくれた燻製はDが担当し、あとはDの指示でおもしろいごちそうができ上がってゆく。桜のチップの燻される匂いは、思ったより主張の激しい、でもクセになる匂い。

私が担当になった餃子ピザは、とても簡単な上にすぐ食べられるので、自分のレシピにこっそり頂戴しよう。Dや仲間たちの焼いた肉など、実は高価な食材ではないそうだけれど、とても味わい深くてしっかりと噛みしめた。

ふと気づけば、包丁を使ったり調味液をつくったり、食べるものは食べ、飲むものは飲み、とてもリラックスしていた。ついに来たか、リア充のときが。
飲み疲れた仲間たちが先に寝て、明日の朝食の準備も終わり、さてこれからどうするのか、とDに尋ねると、薪を燃やすんだよ、と事もなげに言う。
燃やす?ただ燃やすの?と聞くと、そうだよ、燃やすんだよ、と禅問答。
男性は、火と棒が好きだっていうからねぇ、というとDともうひとりは不思議そうな顔。

きっと炎を見つめながら内緒話なぞするのだろう、と考えるも、ただ炎を見つめてワインをすする中年三人。炎に夢中になる。なんだこれ。クセになりそう。


翌朝もまさにラン日和。
朝食前に軽く行ってみよう、と、湖に浮かぶ六角堂を見に行ったり、願いが叶うという鐘を鳴らして鳴らしたあとに願いごと何にしよう、とあわてたり、ラベンダーやバラの香りを胸いっぱい嗅いだりして気持ちよく走った。


¥100で1分半利用できるシャワーでもたついて泡を残したまま立ちつくしたり、おいしすぎておかわりした朝食の片づけを終えて、慌ただしくコテージを後にする。
いいところあるよ、とD主導で行った神社がとてもおごそかで、樹木信仰という言葉の意味が少しだけ理解できた気がした。
そういえば、河口湖にいながら富士山の存在を完全に忘れていた。
看板につられてその先の山中の滝へ。
すがすがしいってこのことだね、と言いながら山道を下り、滝に沿って木製の階段を上がり、気付けば山道を走る中年たち。次回のキャンプ、2日目はトレラン練習でここに来よう、と早くも次のプランも決定。

帰りに地元のとうもろこし・甘々娘(かんかんむすめ)を手に思案していると、夏になったら今度はここにメグミが並ぶよ、俺がつくってるんだメグミ、とごま塩ヒゲのおじいさんが言う。あの、そのメグミってとうもろこしのことですか、と尋ねると、甘いぞぅ、トンネルの向こうの畑で作ってるからよ、と立て板に水の勢いで話してバイクで去って行った。


その晩は、カラダが自然にかわいこちゃんのいるお店へ。
こんばんは、と縄のれんをかきわけると、大将とたまに会う常連さんが笑っていた。ちょうどさっきまで噂していたんですよ、と言う。かわいこちゃんはまだ出勤していなかった。
話をするうちに、日本酒からなぜかうどんの話になり、長崎港のうどんを思い出した。
九州出身のその常連さんは、桜島からのフェリーの中で食べたうどんが最もおいしかったという。ああ、そういう話、大好物なんだよなぁと酒が進む。だって港だし、船だし、うどんだし。さらに、スポーツマンで話し好きな大将が実は人見知りで絵が好きな少年だったと聞いて、驚きのあまりまた酒が進む。

キャンプ効果なのか、肝臓まで回復していることに気付いた。

愉しく飲んで帰宅する途中、携帯電話が鳴った。大将からだ。
いま、たった今帰ってきました、ごめんなさい遅くなって、と弾む声で大将は、かわいこちゃんの出勤が遅れたことを詫びた。

2019年6月21日金曜日

競艶

尊敬する友に誘ってもらって行った、日比谷図書館での「アートになった猫たち展」。
特にひとつ、ぐっとくる作品があった。
その作品の作者・斎藤清氏の他の作品も見てみたくて調べてみると、以前行きたくて行きたくて思いつめていた会津のあの場所に、この方の美術館があることがわかった。
あの場所に行く理由ができた。




以前の1/3の酒量で酔って帰宅した晩のこと。
とうとうその時はやってきた。
毎朝毎晩、隣のくちなしとともに、ストーカーのように見張っていたジャスミンのつぼみが、ついにほころんでいた。
花が開いてきた。
この花、正式名称「エンジェルウィングジャスミン」は、普通のジャスミンより香りがやわらかくてみずみずしい。もちろん、くちなしほど香りの主張が強くない。
眠くてたまらなかったけれど、ストーカーとしては寝るわけにいかない。
春にスッコロボーズにしたら新芽が出なくなり、やりすぎたか、と反省して陽当たりのよい場所に移動したり欠かさず水を与えたりしたら、1ヶ月ほど前からぐんぐん新芽が伸びてきたのだ。もうかれこれ10年近い付き合いになるだろうか。
朝になったら、毎年見慣れた姿になっていた。
以前住んでいたマンション(至近距離)の管理人さんに、毎朝、植物のお世話の極意を聞いていてよかった。
徒歩出勤の途中で見る花壇では、同じ花は見かけたことがない。
こんなにすっきりとしたひかえめなジャスミンの香りも、嗅いだことがない。

2019年6月20日木曜日

予定は未定で

すれ違うひとが、ひとりでにやにやしていることがある。
そんなときは、思い出し笑いかな、楽しそうだな、などと思う。

帰り道、いつものラジオを聞きながら歩いていた。
その日はいつものスタジオライブが公開ライブで、しかも1曲めから大好きなあの曲。
しかもしかも、すすすんごく盛り上がってる!
鳥肌が立ち、なぜか目が潤んできた。口角は上がったまま下がらない。
夜とはいえ、涙ぐみ笑いながらものすごい早さで歩く中年は、完全に不審者だ。
ああ、ウイスキーが飲みたい。
しばらく見るのも嫌だったウイスキーを、水割りから始めてロックで飲みたい。
喉の渇きとウイスキーへの餓えでますます早歩き。


あの興奮をもう一度、と、その翌朝もそのラジオを聞いてみる。
(Radikoのタイムフリー機能を考えた人、感謝です)
昨夜聴いたあのライブが始まると、やはり鳥肌、涙目、薄ら笑い。完全に不審者だ。


これから暑い季節がやってくる。
今年の夏にぴったりな曲も紹介してもらったし、この夏は楽しみだなぁ。
特に予定はないけれど、予定がないのがいいんですよ。

2019年6月17日月曜日

おまえのような花 くちなし

尊敬する友と、二度めの角乗り練習に向かった。
雨上がりの青空のもと、今日は取材抜きの純粋な練習。
先日はようやく角材に立つところまでいったが、それ以上は進める状態ではなかった。

尊敬する友は、こういうの苦手なんだと言いながらも、初めてとは思えない速さで次々にクリアしてゆく。賢い人はコツをつかむのが早い。

陽射しが強く暑くてたまらなかったので、わざと角乗池に落ちちゃおうか、という考えが頭をよぎった。角乗保存会のみなさんの半分以上は、気持ちよさそうにドボンしていた。

一個送りという、角材を足で一回転させて立つというのを、この日はクリアすることができた。このままいけば、次回は三回転くらい連続でできるかも、と思ったがそうはイカのなんとやら。しばらくはマラソン大会などで参加できない。

昼酒についての考え方が一致している友とアルコール抜きのランチを終えて
次はプールへ。
時間がなくて、30分間取りつかれたかわうそのように泳ぎまくった。

帰り道、たまに会うかわいこちゃんに声をかけられる。
少し開いた家の玄関の戸から、つながれたかわいこちゃんが出てきて日陰で寝ていたのだ。顔見知り程度の仲だが、おさわりはOK。

ねこを充電したせいか、この晩も飲みに行く気になれず。
おもしろそうな本を見つけたので、本を読んで過ごすことにした夜。

本屋さんに教えてもらって急速に好きになった作家・田辺聖子さんが亡くなったのは数日前。好きなひとは生きていてくれるだけでいいのにな、と喪失感にうちひしがれた。


早く寝た翌朝、待ちかねていたくちなしの花が咲いた。
毎朝毎晩、ストーカーのように見張っていたのに、死角に1輪開いていた。