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2019年8月26日月曜日

思春期がやってきた

山登りの帰りには、大盛り蕎麦を食べた。
私、3人前じゃなくて大盛りを頼んだんですけどって言いたくなるほどの量だった。
誰より早く完食した。


年齢ひと桁の姪たちは、すでに大人と同じ量の食事を食べる。
ある日の遅めのランチ、やつらはステーキとハンバーグを平らげていた。
普段なら選ばない、中学生男子の喜びそうなボリュームのあるメニューを選んだのは、姪たちに煽られたわけでは決してなく、朝からなにも食べていなかったから。
もちろん完食した。


別の日のランチは、餃子のおいしいまちの中華屋さん。
前日の食べすぎのため朝食は抜いたが、昼どきになるとお腹は空くのね。
禁断の昼酒も手伝って、ものすごい量の餃子が次々に胃袋に吸い込まれていく。
当然完食した。


50の声が聞こえる年になったというのに、食欲が衰えない。
最近では、酒よりも食いに走っているケがある。もちろんその結果もきっちり出ている。
以前、今が思春期なんじゃない?と誰かに言われたときにはまさか、と笑ったが、もしかして・・・
せっかく父さんと一緒に脂肪分を持って行ってあげたのに!

2019年8月23日金曜日

宝物は盗撮写真

夏休みが終わり、また退屈な日が始まると思ったら、毎日なにかと忙しくて気付けばソロ活動をしていなかった。
閉店後の「ニューねこ正」で美人女将や大将やおにいさんと立ち話をするだけの日々。
この夏のリア充ぶりを話すには、腰を据えて臨まなければならない。

毎月一度会うみなさんと久しぶりに皇居を走った。正確に言うと、同じ時間に皇居周辺にいたことはいたが、ソロで走ったのちにみなさんで恒例のおいしいものを食べに行った。
久しぶりに走る前の、あの根拠のない「できる」気持ちはどこからくるのだろう。毎回それでぶっ飛ばして失速するのが常なのに。湿気で息が詰まりそうだったが、途中初対面のメンバーのひとりとばったり会って(Tシャツが目印)喋りながら気持ちよく走ることができた。



「アフター6ジャンクション」の今週の夏の推薦曲がよすぎて、子どものように遊んでいただけの今年の夏に、まるでなにかがあったかのような錯覚を起こす。
今年の夏のごほうびは、義兄からもらった写真。その写真を見たとたん、なつかしくて胸が詰まった。

こんな表情よくしていたなぁ、と、消えそうになっていた記憶がその写真の数々によって戻ってきた。
昔から写真を撮られるのは苦手だったが、義兄によって盗撮された写真は宝物になった。

2019年5月31日金曜日

ひどい二日酔いと、気を遣わなかった二日間

何年かに一度やってくる、大大大二日酔い。
思いがけず、その日はやってきた。


目覚めると、あちこちに脱ぎ散らかした洋服。
昨夜履いていたパンツのポケットには、タクシーの領収書。
・・・はっしゃオーライ!に乗んなさいよ。


前の晩は、まったく気を遣わない仲間との飲み食いの会だった。
気を遣っていないのは自分だけで、ほかのみんなは気遣いをしているのだろうな、と落ちている洋服を拾い集めながら、反省。

思えばそのまた前日の食事会はほぼ初対面の方ばかりだったが、特に気を遣った記憶がない。
気を遣う相手と、おいしくないものを食べるのをやめたから、ヨシとすっか。



大大大二日酔いの日は使いものにならないが、不思議と仕事はミスなくこなす。
ふと気づけば、いつもの悪いクセが出ていない。
しかし意識すると出そうだから、気付かないふりをしよう。
・・・まったく気を遣うなぁ。自分なのに。


2019年5月9日木曜日

スパゲッティハンバーグのひみつ

幼なじみが建てた別宅はためいきが出るほどすてきだ。実際に、ためいきが止まらなかった。予定になかった「愛しのあのひと」(とふたりで呼んでいる)こと、お気に入りのお店のうなぎを食べて、さらにすてきなお店をはしご酒。

幼なじみの別宅のあるまちは、思い出のあるまち。
の、はずだったが、あれからもうウン十年。思い出の名残は皆無であった。


「ぺろりレストラン」の看板メニュー、スパゲッティハンバーグが誕生したのも、料理人の思い出から。
もう何度聞いたかしれないけれど、何度聞いてもせつない料理人の初デート。


こぢんまりしたそのレストランは、料理人が必死で調べたお店。
そのお店でふたりが選んだのは、スパゲッティミートソース。とてもおいしいと彼は思ったのだけれど、彼女は半分残していた。
気に入ってもらえなかったのかな、と彼はがっかりして、それはにがい思い出になったが、そこから長い月日を経てスパゲッティハンバーグと「ぺろりレストラン」が生まれたのだ。

彼女もきっとおいしいと思ったに違いないですよ、初デートで胸がいっぱいで食べられなかっただけだと思うんです、と料理人に言いたいけれど、まだ言っていない。

2019年4月1日月曜日

活字中毒ではなく依存症

田辺聖子依存症になり、貪るように読んでいた時期があった。
多作な著者なのでしばらく困ることはなかったが、ついにディグの壁にぶちあたった。
女流作家が苦手だったので新規開拓が難しく、信頼する本屋さんに愚痴をこぼすと、こんなのどうでしょう、と次にお邪魔したときに用意してくれていた。
長時間の移動中、座席が狭いのも忘れるほど一気に読んだ。
用意していたワインは封も切らず、読み終わってからも同じところを繰り返し読んだ。

出てくる女たちがみんな好きなタイプだし、なにより溜飲が下がりまくった。私の悩みごとなんてこれっぽっちも話していないのに、なぜこんなにぴったりくる本を用意してくれたのだろう!

さらに、最近入手したブルーレイやCDなどが、ことごとく大当たり。
眠たいのに、いつまでも見入り聴き入る毎日。

これからは、おいしいものしか食べないしおいしい酒しか飲まないぞ、と決意した。(そんなことはどこにも書いていないし唄ってもいないが)
がまんしていた「ぺろりレストラン」のスパゲッティハンバーグだって、いずれ食べちゃうんだから。

2019年3月5日火曜日

機密事項と謎

ある友が言った。

最近あまりにあちこち傷めたりケガが多かったりするので、ふと思い立って盛り塩してみたらあちこちのケガの痛みが治まった、と。
あなたはオカルトな人間ではないのになぜ盛り塩なのか、と問うと、う~ん、なんとなく、とのこと。へえ、怖いけどよかったね、とやはりなんとなく答えたが、ある日突然それを思い出し、彼女を真似てランタン柄の小皿にバリの塩を盛って置いてみた。

あちこち傷めてもいないしケガもしていないが、ずっと考えていたことにその日結論が出た。目が醒めた。(些細なことの積み重ねで傷ついていたので、傷めてはいたのか)
盛り塩、おそるべし。

このバリの塩を使って・・・はいないが、おいしい塩をちょこっと使った「ぺろりレストラン」のお料理は、家庭では真似できない味。
スパゲッティハンバーグのパスタを茹でるときにひとつまみ。
やきそばサラダのサラダにひとつまみ。
クリスマスのピザ生地にひとつまみ。
これで魔法のようにおいしくなるらしい。
どこのなんて塩かは、企業機密。


「BAR GABGAB」の水割りは、バーボン自体は平凡なものなのに不思議にうまいと評判だ。
バーテンダーが毎日汲んできているという井戸水のせいではないか、いやどこぞの神社の手水ではないか、など常連さんの噂が後をたたない。
ほんとうのところは、謎。


「おはよう商店」の朝ごはんは、どんな朝にもよく合う。
ひどい二日酔いの朝でも、自分の腹の虫の音で目覚めるくらい食欲旺盛な朝でも、彼(もしくは夫)との予定のない休日の朝でも、恋が終わった朝でも、必ず食べたいものがある。
ただ、セクシーサンドのセクシーさがいまひとつ、謎。



盛り塩の塩は、けっして食卓に置いてはならないらしい。
ゆでたまごにちょっとつけるなんて、もってのほかなんですってよ。

2019年1月18日金曜日

マンネリ上等

好きな本は、病的にくりかえし読む。
「両国図書館」でも、同じ本ばかり読むことがある。
短編でも流れのある本は、辛抱強く最初から読む。
あらすじを知っているにもかかわらず、読み終えたあとにほっとするのは、変わらない。



さみしい、と思う夜はまったくないけれど、夜になるとつい足が向いてしまうのが「ニューねこ正」
かれこれ、もう20年近く通っているだろうか。
お勘定をすませたお客さんの「ごちそうさま、うまかったよ」のひとことを背中で聞くのが、自分のことのようにうれしいのは、変わらない。



「レストラン両国駅」のメニューは、たったふたつ。
うす焼きたまごでケチャップライスを巻いたオムライスに、身の大きいえびフライ。
姿の見えないマスターの、うんちくを語らない姿勢が好もしいし、変わらないこのふたつのメニューでずっと勝負している、その心意気やよし。



「ぺろりレストラン」のメニューも、たったふたつ。
クリスマスには、ピザなんかも出ますけどね。
料理人の初デートのせつない思い出から生まれたスパゲッティハンバーグと、料理人も記憶がさだかでないほど昔からある焼きそばサラダは、季節ごとの付けあわせのフルーツ以外、ずっと変わらない。



この世に生まれて、たった5日しかたっていない赤ちゃんに逢いに行った。
赤ちゃんは、ねこの兄さんと人間の姉さんに囲まれて、小さな口であくびをしていた。
人間の姉さんたちには覚悟のようなものが生まれており、小さななりをしていても自覚が芽生えているように見えた。
赤ちゃんの父親も母親も、赤ちゃんも姉さんたちも、そうか、これからのひとたちなんだな、と既に余生をおくっている私は、今さらながら思った。

2018年12月17日月曜日

歳をとって よかったこと

歳をとって、よかったと思うこと。
モノに、ひとに、いろいろに、執着しなくなったこと。
大切なものは変わらないけれど、ま、いいか、と思えることが増えた。

それでも、ふとした瞬間にまた会いたくなってしまう彼。それは
台北の花市場でみかけた、台湾土犬。
adidasならぬadidogのパーカが、彼のからだの色と合っていて、おしゃれだった。
(そもそもしっぽを巻いていたので、彼か彼女かは不明なのだけれど)

そして
オイッス!
と、同じ花市場で声をかけてきた彼。
不気味なようでいて、底抜けに自分勝手に明るいところが、今になって気になる。
(そもそも植物なので、彼か彼女かは不明なのだけれど)


また会いたい。
そう思ったら、すぐに会いに行こう。
「はっしゃオーライ!」のクリスマスタクシーに乗って。
会いに行けるうちが、ハナですよ。
ラジオから流れるクリスマスソングやイルミネーションに、いいなぁとほほえむことができる大人になれて、よかった。
(クチでは一応ディスってるけれども)

2018年10月15日月曜日

心は、ごはんのようなもの

思いがけず、女子会(の、ようなもの)2DAYS。

歳の離れた友だちのお宅へお邪魔して、遅くまでチョキチョキちくちく。
あっという間に、懸念だったものができ上がっていく。
歳こそ離れているが、彼女とは同じような境遇にあるので、作業しながらぶつぶつぼやいていると互いに「わかる!」ってことばかり。
しまいには口調が荒くなって、「ばかやろう」「なめんなよ」「ふざけんなっつの」と、悪態つき大会に。

ひと段落して、彼女がほうれんそうを指さして「次はごま和えつくってね」との指示。
おくちに合いますか?と聞いたら「ちゃんと主婦やってたのね」と彼女。
なんとも落ち着く、たのしい晩ごはんだった。



べつの日。
閉店間際の「喫茶ニャーゴ」へコーヒー豆を買いに行ったら、とても混んでいた。
急いでいなかったので注文はあとまわしにしてもらって、くるくる働く店主の仕事ぶりを眺めたり、外へ出て近所をぶらぶらしたり。
戻って店主と長話。
サービスしてもらったしっかりめのコーヒーを啜りながら、さようなら。
いつもの窓辺に、その夜はふたりの犬。
コーギーの氷のような目がおかしくて笑いを堪えながら、次の場所へ。
作業を終えて、ごはんでも、と「ぺろりレストラン」。
ふと気づけば、この夜も女性のみ。
めずらしい!

境遇や年齢はそれぞれだけれど、現状全員ひとりもの。
ひとりものが4人そろうと、揚げものが食べたくなる。
よって、おもうぞんぶん、揚げものナイトとなった。
いいんです。
昼間、因縁の地まで走ったのだから。

2018年10月10日水曜日

宇宙から眺めてみればミクロな世間話かな

夜遅くまで映画を観ていたのに、いきなりスイッチが入って、翌朝は久しぶりに早朝ジョグをキメた。
柳橋のかんざしも、おひさしぶり。
大きめのしらさぎにも逢えた。


時間がないのに、お弁当もつくっちゃって
いつも通り徒歩で出勤していたら、毎朝こっそり手を振ってあいさつしている犬が、忙しそうな料理人のご主人に抱かれて甘えていた。
いつもクールな彼のしどけない姿をニヤニヤ見ていると、目が合った犬はバツの悪い顔をした。




毎年出店していた、近所のコーヒーやさんでのマッチ売りに、今年は参加できないことに気付いた。
うっかり予定を入れてしまっていた。
痛恨のミス!


来年こそは・・・(鬼も苦笑)

2018年9月20日木曜日

続・ハセガワさん

連日の飲酒に疲れたある日。
誰とも話したくないけれど、散らかった家に帰るのもいやで
「ぺろりレストラン」へ。
むかしから変わらない、落ち着く店内で
カウンターのはしっこに腰かける。

健康診断やマラソン大会が迫っており
アルコールはもちろん、食もひかえめにするべきなのだが
(そうでなくても年齢的に・・・)
軽くワインなど飲んでいるうちに、気分がのってきた。
ずっと欲しかった本を入手したので
それをていねいにめくりながら、ワインを啜る。
しばらくして本から顔をあげると
後ろのテーブルの、愉しげな声が聞こえた。


「ハセガワさんだよ、それは」
「そうそう、ハセガワさん、ハセガワさん」
「あの黒にんにくだって、ハセガワさんだったよ」


このお店でも「ハセガワさん」の噂をしているひとたちが!
しかし黒にんにくについては、身に覚えがない。

本を閉じて、耳をすましたが
それ以降「ハセガワさん」の話は出てこなかった。

2018年8月7日火曜日

テーブルのある暮らし

忙しくない週末のために
ていねいにつくる、ミートソース。
それだけで満たされていたのに
テーブルのない暮らしって、かなしいものなのね。

友だちが送ってくれた、めずらしい野菜。
バナナピーマンや、ピンキーとキラーズ(トマト)、大きいなす。
頭をひねってお料理して
ワインなぞ用意して
読みたい本もスタンバイ。
こんなにステキなラインナップなのに
テーブルのない暮らしって、かなしいものなのね。

日曜日に我が家にやってきた、お待ちかねのテーブル。
あの、オモシロがにじみ出ているお兄さんが、運んでくれたテーブル。
受け取ったあとに、着ていた服が後ろ前だったことに気付いたけれど
まあいいさ。

その晩は、いつものお店にも行かず
ぶらぶら散歩もせず
どすこいドリンクには目もくれず
そば屋で一杯、のお誘いも断り
いつもよりていねいに弁当をつくったりして
読みかけの本をめくりながら
ワインなぞかたむけて
バナナピーマンのマリネをつまむ。

たまにテーブルを撫でたりして
ほどほどに酔っぱらった。

2018年8月1日水曜日

夢で逢えたが

花火の日の両国は、
早い時間からそわそわしていた。
すでに焼かれた焼き鳥や焼きそばが山積みになり
鮎の塩焼は満員電車のように炭の中に林立、
きゅうりやビールはたくさんの氷で冷やされ
早くも浴衣でめかしこんでやってきたひとたちや
警備にあたる警官や警備員、町内会のひとたちで
たいへんにぎやかだった。
もちろん私も、焼きそばを昼食とした。


その夜は、なじみのお店でのんびり飲み、
テレビで花火大会が始まったのを確認して勘定を済ませた。
店主にいってらっしゃい、と声をかけられると
ちょっと見てすぐ帰るんだけどさ、となぜかみな
照れくさそうに言って縄のれんをくぐる。

人ごみをひょいひょい掻き分けて歩くうちに
なつかしい小路へ出た。
ここだけは、いつ来ても花火がよく見えたもので
今でもそうであることに安堵した。

何年か続けて、偶然同じ場所で一緒に花火を見ていた婦人。
来年もここでお会いしましょうね、というのが
いつものあいさつだった。
道が混む前にさっさと帰宅して、
いま見てきた花火の続きをテレビで見る。
ま、どっちでもいいんだけどさ、と
さっきのお店のお客さんたちのようにつぶやきながら
まずまず酔った。


その晩。
たまには夢にくらい出てきてよ、と思っていたひとが
夢に出てきたが
髪が真っ白になっており、相応に歳をとっていたのがおかしかった。